『雨の日に』

話者自身の怪異体験から、祖母の切ない体験を誘導する形で展開するのであるが、はっきり言ってしまうと、怪異の内容と比べてとにかく話が長すぎる印象である。余計なことがダラダラと書かれているわけでもなく、書き手がジェントル・ゴースト・ストーリーに仕上げようとして、祖母の体験談に力を込めて言葉をつぎ込んでしまっているために、話が膨らみすぎた感がある。
この作品は、祖母の子供時代の怪異体験における強烈な心情があってこそ成り立つのは明白である。亡くなった母親に対する思慕の念、その背中に抱かれた弟に対する複雑な感情、そしてそれらがこの世のものではないことを知るが故の恐怖感。これらの激しく振り切れる感情が一気に交錯することによって初めて、祖母の思いを伝えることができるものと理解する。それ故に、この体験談を丁寧に描写説明する意図は正しいと思うし、それなりの分厚さで読み手に訴えかける必要性があったという意見である。単なる事象の説明や祖母自身の言葉による語りではなく、しっかりとしたストーリー仕立てで体験を表現したことは正解であったと言えるだろう。しかし、その祖母の強烈な感情を事細かに描写する必然性に対して、怪異の内容がいかにも単純でありきたりすぎるのである。そのために、祖母の感情の高ぶりが激しくなっていく一方で、怪異そのものがエキサイティングなものに変化していくプロセスは弱いと感じた。似たような展開の話が多くて、どうしても先が読めてしまうというか、展開の中に引きずり込まれていく感覚に乏しかったわけである。その醒めてしまった感覚によって「話が長い」という印象が作られてしまったように思う。言葉を紡いで迫力あるシーンを再構築させている点では評価できるが、如何せん、怪異の内容そのものがここまで精緻に書くべきレベルのインパクトを持っていなかったところに、何かしらの不自然さを覚えた次第である。
さらに言えば、祖母の体験を完全に挟み込むように話者の体験談が語られるのであるが、これが悪い方向に作用しているように感じた。祖母の体験談と比べるとかなりおとなしめに書いて、多少のメリハリを付けようとしているようにも思うのだが、それでも厚ぼったいという印象である。祖母の体験談で十分熱く語っており、それに別のベクトルからの怪異体験を重ねると、どうしてもお互いの印象が相殺されてしまうような気がする。特に冒頭部分の話者の体験は、メインとなるべき祖母のジェントル・ゴースト・ストーリーの前振りとして大きすぎるように感じる。むしろ、いきなり祖母の昔話から始めて、それが一段落してから話者が墓地で目撃した弟の霊体の話を流し込むことで、祖母の思いに対する回答とした方が落ち着きが良かったのではないだろうか。時系列的には、話者の体験があったから祖母の体験を引っ張り出してこれたのが正論なのであるが、敢えて「読み物」としてのまとまりの良さ、そして何と言っても祖母の切ない怪異体験をより鮮烈に中心に据える目的を考えると、この構成は有りだったように思う。
さらなる工夫は欲しいと思うが、ただ怪異の本質を把握してそれに向かってひたむきな書き方が出来ている点では、なかなか好印象の作品であるという意見である。文調も丁寧であり、それなりに読ませることに成功しているとも感じるところである。
【+2】