『よしえちゃん』

小さな子供が見えない誰かと話をすることから始まる怪異譚は、かなり多い。その相手は、身内の霊であったり、たまたま取り憑いた霊であったりすることが多いが、生霊しかも子供の生霊というのは結構珍しいパターンではないかと思う。それ故かもしれないが、何となく薄気味悪い印象を持って読み終えた。
特に気味の悪いと思うのは、現れた生霊が元夫の交際相手の実子だった点である。何故この接点で二人の子供が互いに生霊となって交流出来たのかが皆目見当が付かないわけで、この不条理とも言える内容がこの作品の肝になっていると言える。体験者が咄嗟に禍々しいと口走ったのも納得出来るし、かといって本当に元夫が元凶であれば、子供の世界だけではなく体験者自身にも何らかの怪異が生じてもおかしくないとも思える。ここが実話の持つ絶妙な不思議さなのであるが、この部分に余計な解釈を施していないので、読み手にはモヤモヤとした感触を与えることに成功していると言える。
そしてこれをさらに強烈にさせているのが、最後の子供のコメントである。この種の怪異では子供自身がこのあやかしを覚えていないことが多いのであるが、このケースでは鮮明且つ「よしえちゃん」という子供が元夫の交際相手の子である確信を裏付ける決定打になっている。これを後日談として書き入れることで、この作品は一気にきつい怪異という印象を持つことになる。とにかく実際に起こった怪異よりも、その正体が判然としていく終盤の展開が、得も言われぬ薄気味悪さを作り出していると思う。
このグイグイと引っ張っていく後半部分に対して、前半部分は非常にもたついている感が強い。例えば1行目などは無駄の極みであるし、また体験者のバツイチの事情、子育ての事情についても果たしてここまできちんと説明しなければならないかと思った。はっきり言えば、これらの情報は怪異と直接関係なく、書いてなくても問題ないレベルだろう。個人的には、書き手自身が書き出しで苦労していた痕跡であるという印象である。しかしながら途中からかなり筆が進んでおり、おそらく前半の無駄な情報をつぎ込んでいく書きぶりは、推敲によって解消出来たのではないかとも思うところである。特に書き出しのもたつき感の原因が過度な情報提供である場合、書き手がきちんと書こうという思いが強ければ強いほどやってしまう失敗であるので、後半でこなれているのであれば、確実に推敲で贅肉を削ぎ落とすことが出来るだろう。やはり一話ごとの分量が少ない実話怪談では、あまり周辺事項を書き連ねていくと、その分だけ怪異のインパクトを殺す危険がある。多少の煙幕を張りながら、確実に怪異へ一直線に向かう展開の方が好ましいという意見である。
全体的には怪異の本質を活かした内容であると思うところが大きいのでプラス評価とさせていただく。ただし前半部分の書きようは防げたのではないかということで、さほど大きい加点を控えることとした。
【+1】