『その声』

不可解な状況で人が失踪してしまう怪異譚であるが、作品全体の雰囲気が絶妙である。特に体験者と彼氏との電話のやりとりは、ちょっとしたチグハグ感から一気に事態が錯綜したただならぬ展開へと変化し、体験者自身の困惑した感情をしっかりと作り出していると言えるだろう。読み手も体験者同様、どのような事態になっているのかがよく分からない感じで展開を読んでいく形になるので、この会話の部分は怪異の肝ではないにせよ、薄気味悪い場を生み出す原動力になっていると思う。この部分を体験者の感情描写を取り混ぜて事細かに書き綴っていたら、おそらく間延びしてしまっていただろう。(ただしこの会話がそこまで意図されて書かれていたかについては少々疑問があり、書き手の文章そのものが至ってシンプルであり、また地の文の展開もかなりザクザクと進めている感がある。偶然の産物というのが真相であるかもしれない。しかし作品としては非常に好ましい結果であることは間違いない。)
怪異の肝の部分、つまり失踪した彼氏に話しかけた謎の女性の声についてであるが、表記に関して少々違和感を覚えた。私自身が「音声合成ソフト」について疎いせいもあるが、具体的なソフト名を挙げられてもパチッとくるものがなく、またそれが伏せ字で表記されてしまっているために、さらに置いてけぼりを食らわされた感が強かった。以前にも指摘したのであるが、怪異そのものについての比喩で具体的なキャラクターを出してくるのは、変なイメージの固着に繋がるので極力避けるべしという意見である。今回でいえば、個人的にその分野の知識が乏しいために、却ってイメージが湧かないことになってしまったわけだが、いずれにせよ得体の知れない存在を固有名詞で喩える手法は危険を伴うことが多いと言えるだろう。この作品の場合、「棒○みちゃんの声」の代わりに「そんな声」でも十分意図は伝わると思うし、むしろその方が素っ気なくて全体の雰囲気に適合しているように思うところが大きかった。
全体を通して言えば、仰々しい言葉を使わず、敢えてトーンを落とした印象を通すことで、あまりにも不可解な出来事を冷静に語っているという効果が出ているという意見である。この抑制の利いた書きぶりが、怪異の異常性を際立たせており、あとからじわじわと恐怖感を揺さぶることに成功していると思う。あり得ない事態を語る時は、興奮した調子ではなく努めて冷静な姿勢で表現する方が、受け手にとって重くのし掛かってくるわけである。その点で、この作品は非常に巧く構成されているという印象を受けた。
【+3】