【+3】啓示

動物というものは、人間によって反自然的に死を迎えると、故意・過失にかかわらず祟る。
自らの寿命を全うさせてもらえなかったことに対する怨念には分別のかけらなどないから、徹底的に祟りまくる。
(道端に轢き殺された動物を見ても「かわいそう」などと思ってはいけないとされるが、これも<「かわいそう」と思う者=殺した者>と動物霊が思い込むのを防ぐための手段であるとも言われる。動物霊の祟りはこれぐらい理不尽なものである)
この作品でも動物霊の祟りは思う存分発揮されていると言える。
3代にわたる死を見れば、死の原因が“首”にまつわるものと、“蛇”にまつわるものになっており、数こそ少ないが明確に首をはね飛ばされた蛇の祟りを想起させる。
これだけでも十分に怪異であると認識できるのだが、駄目押しとばかりに息子から“宣告”を受けてしまう。
この作品の最高の肝はここであり、他の祟り話とは一線を画するところである。
そしてこの息子からの“宣告”自体が、とんでもなく恐ろしい印象を与える。
もしかすると、当事者である清治さんも実は幼少のおりに同じことを自分の父に対してやったのではないかという恐怖が裏に潜んでいるのではないだろうか。
祟りという因業であるが故に、可能性は非常に高い。
文章自体は“祟り系”の話にしては淡々としているが、怪異の肝が“予告”であるので、それに向けて求心的に展開している以上、これがベストであると思う。
手際よくまとめていると言えるだろう。
欲を言えば、「長男は早死に」という言葉の物証が書かれていれば、なお因業さが滲み出てきたと思う。
ちなみにタイトルの『啓示』であるが、これは明らかに誤用。
「啓示」とは神が直接体験者に語りかける事象であり、人間の身体を借りて語りかける場合は「神託」あるいは「託宣」になる。
子供が“予告”するのだから、やはり後者の言葉の方がしっくりくるだろう(ただしこれによる減点はしないことに)。