【+1】車椅子

祖父と祖母の間に相当の確執があることを匂わせながら、最後までそれが何であったのか分からずじまいで終わってしまった。
この作品の場合、この部分が最も重要なカギを握っているのは言うまでもなく、この情念がなければ一連の祖父の行動と車椅子の怪異とが因果的に結びつかないように思う。
祖母は祖父に対して怨みを抱いて亡くなり(車椅子の生活を余儀なくされたのが祖父の原因であると思い込んでいたと察する)、それに対して祖父を思い当たる節がある故に、壁のシミを消したりするおかしな行動を取ったのだろう。
物置の置かれた車椅子の怪異であるが、物置から消えたり、また車椅子が破壊されていたりしたのは、まず間違いなく祖父の仕業であると推察する。
多分祖父は車椅子の存在を疎ましく思い、どこかに持ち出して潰したのだろう。
しかし物置から車椅子の音が聞こえたり、それがいつの間にか戻ってきたことは純粋に怪異である。
戻ってきた車椅子を見た途端に祖父が体調を崩したのも、消えた真相を知っていたから、そして祖母の怨みの深さを現実に体感したためであると考えた方が妥当だろう。
このように読みとることが可能なのであるが、これが個人的な推測の域を出ない。
結局、この作品ではそれらに関する示唆すらも出てこない訳で、そのあたりが読者を悪い意味ではぐらかせてしまっているように感じる。
それでいながら体験者の話しぶりを見ていると、これら一連の展開について確信的な因果関係があることを家族全員が知っている印象が強いのである。
例えば、ボロボロの車椅子を見たのが引き金になって祖父が体調を崩し死に至る(しかも1年という時間経過があるにもかかわらず、これが原因であると断定している)、体験者が「あまり可愛がってもらっていない」と告白する部分などは、“何かを知っている”と思わせるに十分な表現であろう。
淡々とした書きぶりの裏で厭なぐらいドロドロとした情念を感じさせる作品であるが、それが表面にまで滲み出てこない印象の方が強くなったために、どうしても評価を上げることができなかった。
書きようによっては相当なインパクトを持ったものに仕上がっていたかもしれない。