【−2】でも覚えてるんだ

“胎児の記憶”と称される、説明のつかない不思議譚である。
まだ生まれる前に起こった出来事にもかかわらず、それを体験したかのように記憶している現象である。
この作品で語られる記憶であるが、かなりあやしい。
なぜなら、胎児と同時に目撃している母親だけではなく、かなりの人間がこのエピソードを記憶しているからである。
どうしても母親以外の人物から話を聞いた可能性が捨てきれないのである。
しかも物語られている話が非常に洗練された“言葉化”した内容であるというのも気になる。
具体的な部分としては、伯母さんが落とした大根がお供え用のものであった事実、褌が外れた時に叔父さんが最初気付かなかった事実、これらはまさに本人の“目撃”ではなく、後付けされた情報であるのは疑いの余地はない。
つまり、体験者がこのエピソードの後日談を聞いている可能性が高いにもかかわらず、それを記憶していないということは、“胎児の記憶”として語られた記憶も刷り込まれたものであると突っ込まれても反論できないことになる。
(それとも、その目撃の際に“声”までが聞こえていたというのであろうか)
例えば、母親本人以外に目撃者がいない状況なのにその事実を覚えているようなことがあれば、あるいは目撃事実だけが書かれてあるようならば、印象はもっと変わっていたかもしれない。
ネタそのものも新奇性がなく、また疑念を感じざるを得ない部分がある以上、かなり評を下げさせていただくこととする。