【−4】集うもの

いわゆる“見える”人の話のパターンで、悪い部類に属するものである。
この作品内で客観的に確実に怪異と言える現象は何一つ起こっておらず、結局全ては“見える”友達の主観的な証言によってのみ成立しているだけである。
しかもその証言自体も、部屋を指さして“どんどん集まっている”という具象性に欠ける発言である故に、本当に怪異が発生しているかを作品内の記述から読みとることは非常に難しいと言えるだろう。
これでは怖い話をして相手を騙していると突っ込まれても、反証する材料が見あたらない。
またエレベーターの怪異についても、偶然を捉えて友人が気の利いたことを言った可能性があり、怪異である根拠が“友人が見える人だから”という、怪談話として最も避けるべき部分に依拠している。
たとえこれら友人の語る内容が真実であったとしても、具体的な内容もなく、成立のための唯一の要素が“見える人”であっては、胡散臭い印象だけが突出してしまう。
怪談話は普通の常識では考えられないような“あったること”を扱うジャンルであり、体験者及び作者に対する信用があって初めて“本当にあった話”として成立している。
だが、信用しているからと言って、書かれてある内容の全てを真に受けるようなことは決してない。
たとえそれが自称“見える”人の証言であったとしても、いや、“見える”と主張する人であるからこそ、それだけで全てを真にあった怪異と認定することは出来ない。
体験者はおそらく、この“見える”友人との接触を通してその能力を確信しているものと推測する。
だがそれだけではこの友人を知らない大多数の読者に怪異を納得させる根拠とはならないのであり、もっと明瞭な物証を持って臨む必要があったと思う。