【0】神の使い

この作品で一番違和感を覚えるのは、女学生の白蛇に対する意識が二転三転しているように見える点であろう。
遭遇時に恐怖感を覚え、そして祟りの可能性を考え、祖母の話から神の使いとしての信頼感を持つに至る変化は、この短いストーリーでは予定調和的な結末に強引に持ち込もうという印象さえある。
だが、想像をたくましくすると、この一見節操なく変化しているように見える意識がある“前提”から成り立っているのではないかと思った。
もしかすると我々読者のほとんどは、最初に女学生が白蛇に恐怖した理由を“珍しい蛇を見たための生理的な恐怖”と捉えてしまったために、彼女の意識の変化を奇妙と感じたのではないだろうか。
昭和22年という時代背景を考えると、若い女性であったとしても、単に蛇を見て恐怖で泣くことはあまり考えられない。
むしろ彼女が恐怖を感じたのは“白蛇=神”という認識があったからなのではないだろうか。
神の姿を目撃することはまさに強烈な忌み事である。
それ故に彼女は畏れおののき、また友人の父親の病気を“祟り”と感じ取ったと推測できるかもしれない。
祖母から白蛇が“神の使い”であると聞いて安堵したのも、実は“神”より格下の存在であると知ったため、祟りの存在が否定できたからではないだろうか。
あくまで個人的な憶測に過ぎないが、こちらの方が彼女の意識の変化を自然な流れとしてみることが出来るように思う。
しかしながら、その憶測を補強するための記述は見あたらず、憶測が当たっていても作者の書き漏らしと弾じることができ、当たっていなければ当初の通りの違和感を払拭することが出来ない。
いずれにせよ、問題点を抱えたままの状態が続くわけであり、評価はそれなりに低くなってしまった。
また白蛇の目撃と友人の父の病気との因果関係が体験者の推測だけで結びついており、この点も評価を下げざるを得ないポイントとなってしまった。