【−2】関帝廟

読後の感想として真っ先に出てきたのが“罰当たり”系怪談である。
彼女の特異体質を知りつつ関帝廟へ誘ったのは“何か”を期待したのではないかという邪推も可能であるし、実際彼女の痛みを感じた箇所に興味を持ってインターネットで関羽の情報を探してみるところなどは、完全に彼女を実験台に使って神について探りを入れているのではという不愉快な気分にさせられてしまった(罰当たりっぽいにもかかわらず、勧善懲悪的な結末がなかったのも災いしているのは言うまでもない)。
とにかく体験者の作為的とも取れる行動は、感心できるものではないという印象である。
また彼女のそれまでの“感度の良さ”に具体的に言及されていないために、この関帝廟での出来事が“偶然の産物”ではないかという見方も可能である。
もっと具体的に突っ込むと、墓参りに行くたびに“頭痛”ということは、彼女の参る墓地に葬られている人が脳卒中などの頭に関係する病気や事故で亡くなっていなければならないという理屈になってしまうわけであり、そのあたりの処理の仕方が関帝廟での出来事と比べると結構ぞんざいなのである。
そして激痛と言っても、首を切られた痛みと矢が刺さった痛みとはかなり印象は違うように思う。
少なくとも、関帝廟で彼女の身に起こった痛みの症状が果たしてどのようなものであったのかが明瞭でないと、関羽のエピソードと直結させるのは少々強引ではないだろうか。
読めば読むほど恣意的に怪談に仕立て上げようとしているのではないかという印象が見えてきてならない。
感情的になって厳しい評価になるが、作品中に書かれている体験者の言動に何かしらのあざとさを感じ取ってしまったためということに原因は尽きるということである。