【−5】トイレの花子さん

結論から言えば、これは読者を想定した“怪談”作品ではないということである。
まさしく未編集のフィルムを時系列的につなぎ合わせただけの内容に等しく、作者の意図は十分中に示されているのは確かであるが、読者に対して“見せ場”も何もあったものはないということである。
当然怪異はあったと思うのであるが、そこに至るまでの体験者達の無駄なお喋りや、ディテールにこだわりすぎて逆に要領を得なくなったシチュエーションなど、長々と繰り広げられる展開の中に完全に埋没してしまっている。
“あったること”を記録するのが実話怪談の主要な意義だと思うが、ここまで無駄な表記が増殖してしまっていると、もはや一つのストーリーとして破綻していると言っても間違いないだろう。
怪異の内容自体は平凡なパターンのように見えて、最後にきれいなどんでん返しもあってなかなか鋭いという印象であり、決してつまらないとは思わない。
とにかく怪異だけを抽出し、それ以外の事柄についてはストーリーが破綻しない程度に必要最小限にとどめ、怪異をもっと浮き上がらせるような工夫を施さないといけない。
“怪談”とは怪異の魅力を引き出すために書かれるべきであって、体験者の言動を事細かに明記することが主旨ではないということである。