【−1】そういう運命

この作品をマイナス評価とした理由はただ一点、体験者の解釈である。
もしこの大会の趣旨として“実話を元にした(創作的)作品”が認められるのであれば、間違いなくこの作品に対して高評価を下すだろう。
しかし、この大会で求められているのは“実話”であって、整合性のない心霊的解釈や根拠のない憶測の域の内容を書き表し、それが作品の肝となることは主旨から外れるということにしたいと思う。
この作品の場合、この解釈の部分において体験者の主張を補強する客観的な証拠が全く提示されていない。
我が子と目撃した少女の霊が“ダブって見える”とあるが、容姿や仕草の点で似ているとあればまだ得心がいくが、それがなければ体験者の主観的な思い込みの域を出ないだろう。
さらに論理が飛躍し、少女の霊が“妻の生霊の成長過程”であると思い至るプロセスはまさに独断と偏見以外の何ものでもなく、これで読み手に納得せよと突きつけられても途方に暮れるだけである。
「体験者が思ったり感じたことだから“あったること”として良いのではないか」という意見もあるかもしれない。
だがそれを言い出すと、原因が判然としない現象の全てを“霊の仕業”と主張する電波な話が横行するだけである。
この作品も解釈が“いい話”に終わっている分、印象がよいだけであって、突き詰めれば“ぶっ飛んだ”解釈を堂々と出していることには変わりないところである。
“実話怪談”は記録であり、発生した現象に関する情報の範囲内での解釈は許容できるが、それを逸脱することは“あったること”そのものの信憑性をも揺るがしかねない事態となりうるのである。
ただこの解釈が興味深いものであるのは確かであり、これを補強するだけの情報を作品内で断片でも提示してもらえば評価は全く変わったものになっていたと思う。
おそらく体験者がこの解釈に至ったのは、我々読者に提示されていないところで“何か”を感じたからであり、単なる電波な思い込みによるものではないと推測する故に、残念と言うしかない。