【0】獣愛

作品全体を俯瞰すると、やはり犯罪めいたものを感じてしまうし、超常的な怪異はほとんどないのではないかという印象もある。
体験者が寝たきりの状態になっているのも、薬物か何かで軟禁状態にされているという感じの方が強く、もしかすると最初の段階(拒食症のあたり)から実は既に何らかの形で体を蝕まれていたかもしれないと思わせるだけの内容でもある。
体験者自身が精神的に朦朧としているため、また殆ど外部との接触を持っていなかったため、彼女の認識能力が著しく弱まっており、幻覚症状であった可能性が十分ある。
それ故に体験内容そのものの信憑性が非常に弱いことは否めない。
ごく妥当な判断をすれば、男が己の欲望を満たすために体験者を軟禁し、性的な暴行を加えていたのだが、何かの弾みで彼女にその事実が露見したと思い込んで逃走した、というのが真実なのかもしれない。
しかしながら、どうしても奇異に感じる部分がある。
体験者の身体に付いた噛み跡が“人間のものではない”という診断である。
男が入れ歯を使っていたという可能性も否定できないが、直ちにこれが超常的な怪異とはならないと断言することはかなり難しい。
また“犬神憑き”の人間の場合、当の本人が気づかないうちに“犬神”を呼び寄せて、被害者に危害を加えることケースもあり、逆に言えばそれの可能性も捨てきれない。
いずれにせよ体験者自身の記憶が定かでない以上は、人間の欲望が引き起こした事件なのか、あるいは正真正銘の怪異であるかの判断は難しいとしか言いようがない。
そしてこのエピソードでは、体験者のこの朦朧とした状態のさなかで出来事が進行している部分に謎の本質が隠されている訳なので、一概に体験者の精神状態を理由に否定的な見解を出すことも難しいのである(この事実がすべて白日の下に晒されるとしたら、それはこの“克己”という男からの証言が必要となるだろう)。
よって消極的だが、可もなく不可もないという結論が妥当なのではないかという判断をしたい。