【−2】念のリサイクル

体験者のキャラクター作りに失敗したために、話の主題が怪異なのか体験者の性悪さなのか判断がつきにくいことになってしまった。
怪異のきっかけはあくまで体験者の非常識な物欲によることは明白なのであるが、ただここまで体験者のキャラクターを悪者に見せる必要性が果たしてあったのだろうか。
特にファミレスに指輪を捨てたくだりからの展開は、体験者を小狡い人間に見せるためだけの仕掛けとしか受け取れない(その後ファミレスがボヤになる後日談など取って付けたものでしかないわけである)。
ちょっとした“罰当たり”怪異なのであるが、やはり正直な感想としては“やりすぎ”の一言である。
それに比べると、怪異の方は思いの外あっさりしているように見える。
怪異の肝は妹の交通事故になるわけだが、これが果たして指輪が原因だったどうかを決定付けるカギが見当たらないのである。
手の指を車に轢かれて全て骨折というところに関連性を見出すことは可能であるが、“絡みついてきた髪の毛”を考えると一概に指輪のせいでもないのではという意見も出てくる。
結局“指輪がもたらす因果話”であるにもかかわらず、一番の肝でそれが絡むかどうか微妙というのでは、さすがに首をひねらざるを得ないところであるだろう(もし仮にこの事故のエピソードだけで終わらせていたら、何かしらの繋がりを感じ取ることが出来ていただろう)。
最終的には、圧倒的な情報量によって体験者のキャラクターだけが際立って目立ってしまい、何か余計な不快感をもたらすだけの内容になってしまったと言える。
怪異と直結しない体験者の心理描写は時として思わぬ誤算を招く危険があるが、まさにその典型となってしまった。