【−3】生首

しっかりとした怪異が起こっているにもかかわらず、完全にポイントをはずしてしまった書き方になってしまっている。
体験者の言葉を疑っている話者の態度が、作品の枠として冒頭と末尾で大々的に書かれてしまっているために、怪異そのものの信憑性を作品内で全否定しているという展開になってしまった。
体験者から話を聞いた話者がその話を事実かどうか疑ってかかるのはあくまで話者の主観であり、それを作品に持ち込んできて読者に提示するのは、はっきり言って“実話”として成立させるつもりが書き手自身にあるのかという根本的な問題に引っ掛かってしまう。
もっとダイレクトに言えば「信じるな!」と書き手が最初に断り書きをしているようなものである。
このような扱いを受けた怪異の内容を、読者がどのように受け止めるかは火を見るよりも明らかである。
おそらく“与太話”の類と一蹴する者も出てくるはずだろう。
枠になっている話者の主観部分を全て切り捨てて“あったること”だけをしっかりとまとめた方が、怪談としては迫力ある内容になっていたに違いない。
ただし話者が体験者から聞いた内容がこの作品に書かれている程度のものであれば(話者の主観部分から推察すると、可能性は十分あるだろう)、やはり雑談で聞いた話の域を超えないものであると思う。
全体の印象としては、怪異の決定的なディテールがほとんどない、話者自身が怪異を疑っているという状況のため、酔っぱらい同士で盛り上がる怪談としては良いかもしれないが、作品と呼べるだけのしっかりとした作りにまでは至らない内容であると言えるだろう。
要するに、全てが“話半分”の内容にしか見えないということである。