【−3】お化け屋敷にて

これは事実だから致し方ないのであるが、怪異の肝とばかり思っていた家屋の揺れが実は“地震”だったというくだりで完全に腰砕け状態となってしまった。
結局それを上回るだけの怪異が出てこないために、一体何のための怪異報告であるか、書き手の公開意図が知りたいところである。
勿論実話怪談が“記録”であり、さまざまな体験を書いて残すことに意義があることは間違いない。
だからといって、このような話を堂々と“怪談”作品として公開するのが果たして本当の意味での意義があるのか、書き手自身に問いたいわけである。
例えばこの怪異が起こった場所が曰く因縁のある土地であるとか、このアトラクションが有名な場所でおこなわれたものであるとか、そういう付加価値的なものがあれば公開する意味は存在すると思うが、ここで書かれている怪異だけで読者がどういう印象を持つかを考えれば、個人的な意見としては公開を諦めるのが妥当な選択であると思う。
あるいはこの地震に関する記述をスッパリと斬り捨てて、読者の失笑を買わない方向を模索する必要があるだろう(ただしこの揺れの事実がなければ、読むに値しないレベルの怪異であることが最初から見えてしまうのだが)。
結局怪異が地震インパクトに負けてしまっているから、どうしようもないのである。
言うならば、幽霊よりも天災の方が怖い…というオチしか見当たらない話なのである。
非常に厳しい評価となるが、怪異が起こっていればそれで“怪談”が成立するという発想だけでは如何ともし難いのであり、そのあたりの書き手のセンスに大きな問題があるということで。