【0】墓地にて

書き手本人の体験ではあるが、本人の記憶が定かではない部分が多いので、母親目線の体験談として書き上げた方がより信憑性を持って受け入れられたのではないだろうか。
子供が墓地で見た霊体から供養されなかった親族の存在を知ることになるパターンは結構あるが、いずれも偶然の積み重ねのようなことが起こってそれが一つの流れとなって、壮大な怪異譚となる。
それら前例に比べると、節目となるポイントはしっかりとあって怪異が怪異を呼んで連結していく様子はそれ相応にあるが、やはり母親をメインにしていない(要するに取材で当時の状況を確認して再構成していない)ために、何か要領を得ない、しかもそれが人知を超えたものではなく、体験者が子供であったがために当事者として知り得なかった何かが表に出てきていないという印象なのである。
例えば、なぜ霊体となった男性は意図的に供養されなかったのか、母親はなぜその事実を知った途端強硬に供養を行おうとしたのかなど、最も根元的な真相部分に関する示唆すらもないので釈然としないのである。
要するに“因果物”であるにもかかわらず、因果にまつわる部分が明らかにされていないためのフラストレーションがあり、その原因が書き方にあると思われるのである。
“あったること”を書くという点ではさしたる問題はないのだが、一つの因果話としては要領を得ないという印象なのである。
母親目線から書いていれば(つまり母親へ取材という形で真意を聞き出す作業をしてくれば)、もっと驚愕の事実が聞き出せたのではないだろうか。
そういう雰囲気が最後まで残ってしまったため、どうもしっくりとはいかなかった。