【−2】聖域

読んでいて、かなりの情報不足感を覚えた。
沖縄、しかも離島における“神霊”を扱う場合、どうしても書き手は必要によってはある程度の予備知識を持って再構成に臨まないと、完全な舌足らずな表記で終わってしまう危険性があると言えるだろう。
偏見ではないが、沖縄の神霊に関する伝統と日本のそれとは全く異なる文化であるといって間違いなく、例えばキリスト教文化圏やイスラム教文化圏の宗教的行事に絡む怪異を書く場合と同様に、ある程度の説明がないと意味が分からなくなるような部分が多少あるという見解である(さすがに懇切丁寧に詳細を書かないといけないというわけではないが)。
この作品の場合も、いくつか明らかにしないと分かりづらい点がある。
まず体験者の性別が明らかになっていないのは、非常に問題である(性別によってその土地が禁忌となるか否かの判断材料になるケースは“修験道”の山などでも見られることであるが、こういう場合、性別を落とせば当然誤解を招くことがある)。
さらに途中で登場する“神官”とはどのような集団だったのかがよく分からず、これではどのような種類の信仰と関係あるのかすら見当が付かず、あまりにも曖昧すぎるだろう。
さらにこの“神官”については、最終的に起こる怪異とどのように結びつくのかすら理解できず、作品中に登場させた目的も全く判らずじまいで終わってしまっている。
個人的な見解であるが、思わせぶりなのに中途半端な記述になっていたりする最大の理由は、体験者である教授も書き手自身も“何か”を意図的に隠そうとしたためではないかと考える。
最後のセリフである“絶対に、撮ってはいけない場所では撮ってはいなかったんだよ”という微妙な表現は、まさしくこの場所一帯が禁忌の地であり、それを無理に潜入した末の怪異だった証左ではないだろうか。
つまり“書きたくても書けない”事情があり、全体が曖昧模糊とした記述で終始してしまったという推測も成り立つわけである。
しかしこのような事情があったところで、このようなぼかした書き方では“記録”としての価値は低く、また意図的に核心を隠してジワジワとした恐怖感を与える構成にするにしても、あまりにもストーリーの展開が短すぎてあっけないのである。
作品全体における情報不足感が知識不足によるのかあるいは意図的な操作なのかは不明であるが、このような書き方では、読み手はフラストレーションを溜めるだけで、あまり効果のあるものではないという結論である。
本音を言えば、こういう曖昧な書き方でも、起こった怪異が人命に関わるほど深刻なものであれば、“実話怪談”としては成立していたのかもしれない。
だが、この作品の次元では、マイナス評価を付けざるを得ないところである。