【−5】くさい

実話怪談は“あったること”の記録という側面が非常に顕著な作品であると定義付けすることが出来る。
ところがこの作品の場合、その“あったること”の記録という部分で完全に逸脱した内容があるという判断が出来るために、大きく減点せざるを得ないことになった。
その最たるものが、体験者以外の人物が吐露する心情描写の部分である。
体験者(話者)が他人の様子を見てその心情を推測した旨のことを文章にすること、あるいはその本人からそれに近い心情を聞いていたというニュアンスで表記することは問題ないが、この作品の場合、ダイレクトに本人の心情を文章として描写してしまっている。
しかもその人物が既に亡くなっているのだから、これに対する印象はまさに“小説さながら”の書きぶりであり、実話を語るスタイルとしてはかなりまずいものになってしまっている。
いわゆる、究極的な“神の視点”からの書き方になってしまっており、どうしても信憑性の部分で疑問を呈してしまう内容であると言えるだろう。
さらに言えば、いじめられた女子が枕元に立って会話する部分もあまりにも劇的すぎるし、それを語り合う仲間達の状況もチープなマンガにそのまま出てきそうな展開にしか見えない。
まさに“女子高生の都市伝説”という色合いで見られても何ら問題ないレベルなのである。
そしてさらにまずいことに、この作品がいじめた当事者以外にも話すとにおいが移るという“伝播怪談”の様相で終わってしまっているために、創作くさい書き方がさらに胡散臭さを漂わせる結果となっている。
ところが、その伝播する対象が“におい”であるために、これだけ鉄板の怪談スタイルで綴られているにもかかわらず、恐怖感というものが全然湧いてこない。
要するに“嗅覚”という非常に主観的で曖昧な認識で終わってしまいそうなものが対象であるので、結局“気のせい”としか思えないわけである。
正直に言うと、この作品のような書き方では、「これは実際にあった話です」と必死に主張してもおそらく誰も信じようとはしないだろうし、創作だと突っ込まれても反論の余地がないような文章スタイルであると思う。
事実だからどのような書き方でも良いということはなく、やはり事実が事実であると読み手に思わせるだけの最低限度のスタイルの確保は絶対であるということである。
ただ今回最低評点としなかったのは、この創作くさい内容の原因が文章スタイルにあるという判断からであり、少なくとも享子さんの死については怪異があったと認められるためである(下手な伝播怪談で締めたので、これで最低評価としてもよかったのだが、体験者の言葉をそのまま書いたという認識で落ち着かせてもらった)。