【−4】天井に

風呂場の天井にめり込んだ手形があるという事実だけでは、それを怪異とみなすことはほぼ無理だということに尽きる。
もしこれがユニットバスならば、よほどの力で押しても手形が付くことは考えられないので、その手形そのものの存在でも怪異と認識することは可能であると思う(ただしそれでも絶対的ではないと批判する人が出てくるのは間違いない)。
しかしコンクリートの壁であれば、ある時期に手形が付いてしまったままで気付かずに放置されていれば、容易に付けることが出来るだろう。
つまりこの作品の場合、建築時に手形を付けたまま放置され、体験者自身もその事実に今まで気付かなかったという可能性が排除不能であり、結局それを事前に潰していないために、怪異の認定において大きな疑念を残したわけである。
書き手とすれば、そのような杜撰な施工はあり得ないと思って書かなかったのかもしれないが、物理的可能性がある限りにおいて批判が来るのは当然である。
なぜなら、超常現象自体が本来的に“あり得ない”現象であり、それを読み手に納得させるためにはあらゆるケースについての検証が不可欠だからである。
手形の大きさや性別に繋がる情報、建物の築年数、体験者の居住期間など、いくらでもその手形の存在が“あり得ない”と判断させる表記は書けるはずであるし、“前日はなかったのに”という言葉一つだけでも印象は変わってしまうだろう。
ところがそのような確証を与えることが可能な言葉を全てすっ飛ばして、“もちろん森本さんは風呂場の天井を手の形にめり込ませた覚えはない”などというような、明後日の方向からの情報をのほほんと書いているようでは、さすがに怪異を見極めるセンスに疑問符が付いてもおかしくない。
書き手が積極的に怪異を怪異とするための努力を怠っていると判断したので、大幅なマイナス評価とさせていただいた。
この程度の些細な怪異でこれだけの書き損じをしているようでは、ヤキが回っていると言われても致し方ないだろう。