【−5】わたし、やだよ

体験者の感想は尤もであるとは思うのであるが、結局のところ、怪異を怪異たらしめるための根拠らしいものがほとんどない、あるいは全く説得力を持たないという点で評価は限りなく低いものとさせていただいた。
2つの目撃談であるが、たとえそれがあり得ない季節や時間帯であったとしても、まさしく常識的に考えれば“生きている人間”を目撃したのではないかという疑念が先に出てくる。
それを真っ先に否定するだけの根拠を提示しなければ、怪異であるという印象すら読み手は持ってくれないのである。
しかもそのような疑念を駄目押しするように、採話者が本文中で“生身の人間っぽくない?”と尋ねてしまっているようでは、身も蓋もない状態と言うしかない。
そして体験者が怪異であると断定する根拠が“近隣の人なら誰であるか判る”というのも、いかにも自信ありげであるが、何とも心許ないものにしか映らない。
個人的なことを言えば、30年以上同じ土地で暮らしていながら、町内にある80軒近くの世帯の名前すら全部分からないし、誰が住んでいるのかも分かっているようで実際には確実に把握しているわけではない。
体験者が自宅からどれだけ離れた場所で目撃したかは分からないが、見知らぬ人であったとしてもそれを幽霊であると断言する方がかなりあやしいと思うのが“常識”である。
体験者が恐怖を感じるからといって、それを怪異であると認めるのは乱暴極まりないことであり、結局この作品ではそのレベルの認識で怪異とまかり通そうという意図が明確である故に、評価を下げざるを得なかったということである。
非常識的な存在である怪異だからこそ、積極的にそれが怪異である根拠を提示しなければ、誰もが納得できる怪異とはならないわけである。