【−3】最後の親孝行

一読した直後の正直な感想は、“新興宗教団体の機関誌に掲載された信者の体験記”というところである。
真摯に書かれているがとにかく冗長であり、またまばゆいばかりに輝く“思いやり”の精神が溢れており、心が洗われるがかなりヘビーな気分になってしまうという感じである。
果たして“怪談”と呼べるかと問われると、即座に「否」と答えられるほど、異質な存在であると言っていいと思う。
怪異の面から見ると、自分とは面識のない、身内の知り合いが夢に出て何かを訴えるという、この種の“良い話”ではよくあるパターンであると言える。
この種の話は、霊がどのような形で現れようとメッセージを相手に伝えることで浄化され、伝えられた相手にも感謝されて終わるというパターンであり、この域を超え出るだけの何か特異な現象なり出来事が起こらない限り、評価を高くすることは難しい。
さらに難点として、この作品の場合プライベートな情報が相当詰まっているが(これが“新興宗教団体の機関誌”という印象をかなり強くしている根拠であり、不特定多数が見ることが前提の場ではかなり際どい内容になっているだろう)、結局それが信憑性と直結すると見る部分は少なく、むしろ怪異を提示する場として余計な尾ヒレの部分となってしまっている。
“あったること”だけをすんなり書いた方が怪異がクリアに見えるのではないかと思うし、余計な部分によって怪異が完全に埋もれて、体験者自身の能力の高さだけが突出して誇示されている印象は避けられない。
実話怪談は“記録”の要素を多分に含んでいるが、記録だからといって怪異に少しでも引っ掛かりのあるエピソードを全て列挙することとは全く異なる。
特に周辺事項は適切な量で抑える、つまり怪異と直結する事実を丁寧に取捨選択して、有機的な繋がりを持たせて配置するようにしなければ、怪異を中心とする展開を作り上げることは出来ないと言ってもいいだろう。
この作品の最大の問題点は、のべつまくなしに語られるプライベートな話題を必要最小限に削り落として、怪異の不思議さそして奥深さを前面に押し出すことが出来なかった点であると断言できる。
体験者の心持ちは察するが、やはり“怪談”として不首尾である以上は、大きく減点とさせていただくしかなかった次第である。