【+4】真意

強烈な怪異譚である。
特にそのおぞましいまでの恐怖は、会うごとに変貌を遂げる友人の霊体の表情である。
書き手は最初からその変化を強調させるために、最初に自らの死を伝えに来た霊体の描写の部分からしっかりとその表情や雰囲気を書き留めている。
それ故に、変わり果てた表情を見せる霊体の姿に、体験者同様、読み手も驚きそして戦慄する。
そして何よりも体験者の家族二人の死とこの霊体との関連性が、有無も言わさないタイミングと言い放たれるセリフによって絶妙につなぎ合わされており、この霊体の表情が何を意味しているのかが手に取るように理解できるから、さらに暗澹たる気分にさせられるのである。
しかもこの怪異が“現在進行形”であることが、駄目を押している(いわゆる“厭系”怪談の必須条件まで満たしているから、とことん読み手を凹ませてくれるわけだ)。
体験者自身が霊体の悪意に心当たりがない分だけ、非常に陰湿で救いようのない印象を与えてくれるところである。
ここからは個人的な怪異の解釈になるのだが、なぜ友人の霊はここまで悪意のかたまりとなったのだろうか。
おそらく彼が自殺したのはあくまで個人的な理由であり、体験者に対する怨みとかそういうものではなかったと推察する。
それ故に、霊体はこの時は単純に別れを言いに来たいために現れたと解釈したい。
ところがこの霊体は、自分の自殺の原因の中に世をはかなむ気持ちと同時に、周囲に対する行き場のない思いを見出したのかもしれない。
特に自分と同じように生きてきたはずの体験者の境遇に対して“妬み”を覚えた。
霊体が憤怒の表情で現れるのではなく、にやけた笑みをこぼしながら登場するのは、特定の怨みではなく、ただひたすら体験者が不幸に苛まれ苦しむところが見たいという意思の表れではないかと思うのである。
怨みを含んだ報復では被害者にも一定の非があると感じるところがあるが、妬みによる報復は一方的であり、そして人間の最も嫌な部分の露出であるが故に、救いのないおぞましさを感じざるを得ない。
人の心の闇の部分が霊の行動を通して透けて見えてくるから、この作品は怪異譚としてそして恐怖譚として強烈なインパクトをもたらしてくれると言えるだろう。
ただ体験者には申し訳ないが、この一連の出来事はまだカタストロフィーにまで至っていない、要するに最悪の事態を迎えておらず、怪異譚としては未完成であるという判断であり、それ故に傑作の評価まではしなかった。