『沼地の家』

一読した第一印象は“現在進行形の怪談”。怪異はまだ始まったばかりで、これからさらに怪異は展開していくのだろうという雰囲気を非常に強く感じ取った。特にそれを意識したのは、最後にある体験者の憶測部分である。本来、怪異に対するこのような解釈を施すのは読み手のイマジネーションを妨害するものであり、また書き手側の意図的な強制介入であるとして反対しているのであるが、この作品の場合、この憶測にこそ怪異の本質があると思う。
この家が建つ前は沼地であり、そこに死体が隠されているのではないかという体験者の発想は、実は結論的解釈ではなく、起こった怪異に対する第一仮説でしかないように思えるのである。最後に体験者が今後を不安に思っている旨の告白があるが、それがなくても怪異が起こる可能性が極めて高いと想像できるのである。それ故に、怪異の原因についての憶測がこれでもかと書かれているのには納得できる部分が大きい。
別の見方をすれば、怪異の原因について言及せずにはいられないほどの強烈なインパクトを持つ怪異が発生しているために、これだけの長い解釈が必要だったのではないだろうか。この作品では2つの怪異が発生しているが、いずれも単独でも十分評価できるほどの凄まじい怪異であると言える。特に最初の“まな板に突き立った包丁”のインパクトは並大抵ではない。そこに正体不明の女性の霊体を姉弟が同時に目撃している。たまたま通りすがりの霊体の仕業と考えるのには無理があるし、これだけの怪異が起こっている以上、何らかの因縁が籠もっていて、さらに怪異が続く予感は十分にある。この2つの怪異を並べたからには、ただの“投げっぱなし”では済まされない、何らかの関連性を見出さないといけないと思わせる凄味を感じるのである。とにかく荒唐無稽でもいいから、理由を求めずにはいられないほどの恐ろしい何かを感じ取ることが出来るのである。
ただ残念ながら、この怪異譚は未完結であり、その分だけ恐怖感も弱くなっている。本当はもう少し寝かせて、さらなる怪異体験を待った方が正解だったような気がする(もしかすると既に取材済みで、今後発表の場を待つだけなのかもしれないが)。大ネタを予感させる薄気味悪さを持った作品であると言えるだろう。
【+2】