『小さな主張』

作品の構成で言えば、まさに松村進吉氏の“フラグメント”形式を意識して書かれたのは間違いないところである。断片的な怪異体験を1つのエピソードに詰め合わせることで、何らかの符丁なり因果なりを浮き上がらせる、あるいはそれらの怪異の背後に潜むもっと大きな闇を示唆するように仕向けられた構成である。ただし内容を吟味すると、やはり似て非なる部分の方が強く感じられ、単に無造作にエピソードが並べられているという印象しか残らなかった。
いわゆる“小さなおっさん”カテゴリーの怪異体験、しかもそれが一個人で体験した内容を時系列的に並べている。しかし、これらの怪異はまさに断片そのものであって、特定個人の時系列体験という括りでしか構成の意図が見えてこないのである。体験者が遭遇した“小さなおっさん”達そのものに何かの意図的な括りを施している気配はない。それ故に非常に雑然とした印象しか残らないのであり、書き手の意志や方向付けも希薄としか言いようがない。それ故に、4つのエピソードが集められて、そこから何か新たな怪異が見えてくるような期待もない。これではこの構成形式が本来目的とするものを得ることは叶わないし、ただの寄せ集めと言わざるを得ない。
個々のエピソードについても、フラグメントとしての統一感がないために、単純に“あったること”をまとめただけで、書き手の観点がばらついているように見える。そのために各エピソードごとの印象にムラがあり、全体としての調和という点でも非常に安定感を欠いていると言える。これでは何のための羅列か、ほとんど意味を呈さないと言われても致し方ない。
複数の体験を一つにまとめる場合、それがたとえ一個人のものであったとしても、そこにまとめて書くだけの理由や目的がなければ、避けるべきであると思う。特に「フラグメント」というとんでもない有効な形式が登場した直後である。亜流はすぐに見透かされて、手厳しい批判に晒されるだろう。この作品で言えば、むしろ最後の4つ目のエピソードだけを単独で(ただしもう少し詳細をつけて)提示した方が、面白かったような気がする。
【−2】