『落ちる』

結論から言ってしまうと、主人公である体験者の心理描写が饒舌すぎて、怪異譚としての雰囲気がかなり薄れてしまったように感じる。体験者が怪異に対してどのような感覚で相対したのかをしっかりと書くことは吝かではないが、ただそれが過剰になってしまうと、怪異の内容よりもそちらの方にウエイトが掛かってしまい、怪異譚というよりもむしろ“怪異を通しての人物活写”のような印象になってしまう。怪異を通して人を描くことは、怪談の一つの手法であるが、人物ばかりが目立ってしまえば怪談としては本末転倒、特に実話怪談というジャンルでは本質を見誤ったと言うしかない。この作品も、そういう観点から見ると、かなり際どい部分がある。
みかんの実が空へ向かって飛んでいくという怪異は、言うまでもなく初見である。この怪現象と、祖父が存命の頃の習慣との関連性は全く以て不明なのであるが、主人公の心理描写によってあたかもこの2つの事象が密接に結びついているかのように書かれてしまっている。状況から考えると、仏壇に供えられるはずのみかんが、祖父が亡くなったことによって供えられることができず、その代わりに空へ向かって飛んでいくようになったと推測は可能であるが、それを事象の連続によって示唆するのではなく、主人公の心理描写を通して読み手に訴えかける手法はかなりアンフェアであると言えるだろう。言い換えれば、書き手自身の憶測を主人公に仮託して表現している、あるいは体験者の意見をそのまま鵜呑みして書いているだけと指摘されてもやむを得ない状況なのである(とにかく、憶測・意見・解釈が散りばめられている怪談話は、厚ぼったく感じられるし、下手をすると読み手を都合の良い方向へ誘導する粗悪な作品になりかねないと指摘したい)。
あくまで単純明快な怪異を中心にして“あったること”でまとめ上げた方が、怪異そのものはもっと興味深いものになっていたように感じる。講釈や理屈抜きで怪異を表現する方が、読み手の想像力はより一層刺激され、作品をより深く掘り下げて読んでくれるものだと確信している。その点では、この作品は少々くどさを感じるところであり、せっかくの怪異がくすんでしまったように思う。
【−1】