『パロパロ爺さん』

遭遇した怪異そのものはなかなか興味深いものがあるし、希少性も高い。しかしそれをどのように見せるかという点において、完全に“怪談”の情趣を逸脱してしまった。
元々このような“怪人”の目撃談が、いわゆる“現代妖怪”の範疇において“都市伝説”の一種という感覚で捉えられるようになって久しい(その代表的な例が“小さいおっさん”である)。この作品も、実際この“怪人”の目撃談が完全に“都市伝説”のフォーマットで書かれてしまっており、それが“怪談”としての面白さを殺してしまっている。
まず冒頭に“パロパロ爺さん”なるあやかしについての情報が書かれているが、ここで既にこの怪人の基本情報の全てが抽出されてしまっている。つまり事典的な解説が最初に書かれているために、ストーリー中で徐々にその正体が明らかになるという展開が全く出来ない状態になっていて、読み手を作中に引っ張り込む魅力に欠けていると言わざるを得ない(都市伝説の検証という観点で言えば、良く出来ているのであるが)。さらに言えば、体験者の遭遇した爺さんは“空を飛ぶ”という意表を衝いた行動に出ているが、これも事前の説明がなくても十分意表を衝いていると言ってもいいと思うので、冒頭部分の効果は結局マイナスにしか作用しないと言える。構成の面で怪異の展開を矮小化させてしまったわけである。
そして最後の締めくくりとなっている“その後のエピソード”についても、都市伝説的な印象を受ける。具体的に言えば“学校の怪談”のテイストである(全編がそうだと言っても間違いがないのであるが)。この付け足しのおかげで怪異そのものが中心として作られた作品ではないという印象が強固になってしまった。しかも今の御主人との出会いと怪異の内容とが密接に絡み合っていないために(きっかけではあるが、有機的な繋がりはない)、結局、書かれた目的がノロケだったような印象を持ってしまった。どうしても対象年齢が低い“学校の怪談”のノリでしか面白味を感じなかったので、幼少時の思い出ではあるものの、“実話怪談”としては稚拙と言うべきレベルであったと思う。
【−2】