『土下座』

怪談は、どうしても“負の感情”が働くことによって成立する確率が高いわけで、その結果、人間の暗部が嫌でも目につくことも多くなる。この作品もそういうものをこれでもかと読み手に提示してくる。
ここに登場する植松氏と竹村氏は、どちらが絶対的に善であり悪であるとは言い切れない立ち位置にいると言える。植松氏が竹村氏を死に追いやった原因を作ったのは事実であるし、竹村氏が植松氏を激怒させるような態度を取ったことがそもそもの始まりであるのも事実である。また植松氏が上司として一身に責任を負わねばならない羽目に陥って苦悩したのも事実であるし、竹村氏が死んでもなお小狡く立ち回りながら最終的に恫喝されて消えてしまったのも事実である。しかし逆から言えば、共に人間の根元的な醜さや弱さを全面的に露出した存在として描かれている。正直言うと、この作品には“会社の怪談”に登場しそうな負の感情のおおよそが書き尽くされており、まさに救いのない話と言っても良いと思う。それ故に、読後の感想は本当に暗澹たる印象であった。
だが、書き手はこの全編負の感情で覆い尽くされた内容の怪異を非常に冷静な筆致で書き綴っている。二人の人物のどちらにも偏らず、両者がぶちまける負の感情をきっちりと書き出しているために、どす黒い感情には襲われるものの、読む気が失せるような厭さは感じなかった。爽快な気分にはなれないものの“怪異を通して人を描く”という部分では成功しているように思うところが強い。特に、竹村氏の霊が“土下座しながら頭を上げてニヤニヤする”という一文を読んで、両者の負の感情がぶつかり合った瞬間の不気味なぐらいの静けさが手に取るように想像出来たのは、書き手の筆力によるものであると確信する。
よくある展開ではあるが、登場人物の心理がよく分かる点、負の感情の表現が的確である点で、非凡なものを感じる。
【+2】