『掴む』

怪異のポイントになる部分が2箇所。そのどちらかにウエイトを置く必要があったのだが、いずれにも比重が掛かってインパクトが拡散してしまった感が強い。そのために何となく締まりが悪い終わり方になってしまっている。
怪異を最も強烈に印象付ける内容は、素肌に手形がくっきりと付いているのが分かった瞬間、そして左腕を掴まれる現象が長きに渡って続いているという事実の部分、の2箇所である。同じ怪異なのであるが、“瞬間のインパクト”と“ジワジワと来る恐怖”という異なるタイプの恐怖感を持ち合わせているので、いずれかに的を絞るべきだと考える。この作品では、手形の部分で一旦ストーリーが切れていて、そのエピローグのような扱いでその後にも怪異が続いていることを示している。この後日談の部分が、それまでの体験談と打ってかわって、まさに事実関係だけを並べた程度の取って付けたような書き方で終わってしまっている。そのために手形を認めた瞬間の強烈なインパクトでギクリとさせておきながら、その後に続く部分で何かお茶を濁されたような切れ味の悪さを覚えるのである。もし仮に、その後頻々として起こる怪異をクローズアップさせるのであれば、もっとその詳細を書いて、この左腕を掴む謎の腕の執拗さを読み手にアピールすべきであっただろう。それが出来ないのであれば、敢えてその後日談的なエピソードを根こそぎ抜いて、あり得ない形で残された手形の怪異でとどめて、超常ぶりを強調すべきだったと思う。結局、その両方どっちも付かないような中途半端な締め方で、何となく損をしたのではないだろうか。
怪異の記録としては、その後にもこの左腕を掴む存在が何度となく現れたことを書くべきなのかもしれないが、怪談としてのインパクトを追求するならば、そこまで書き連ねていく必要はなかったように感じる。嘘や捏造はNGだが、怪異による恐怖を演出するための調整は問題ないという見解である。怪異を活かす方法を書き手が考えてこそ、怪談の妙味は生まれてくるわけである。
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