『米軍基地の霊』

初読の感想は“雨宮淳司氏の劣化バージョン”。周辺事情をギッチリと書き記すことで、当時の雰囲気を出そうという意図があるように感じるのであるが、残念ながら似て非なるものになっている。なぜなら書かれている情報は、結局体験者である書き手の見聞記であり、しかも内容が現在の基地内でもそうに違いないだろうというレベルの話に終始してしまっている。つまり、その当時の三沢基地の持っていた雰囲気のディテールと考えられるような情報が少ないように感じるのであり、さらには書かれているディテール情報が怪異の持っている印象に直結しないのである。例えば、その当時の三沢基地の雰囲気や状況が分からなければ怪異のシチュエーションが理解しづらいということで書くのであれば、直接怪異に関係なくともこういう些細なことを書く必要性はあるが、それがなければ単なるひけらかしに過ぎない。最終的に、冒頭からの説明は怪異と絡まない情報ばかりということで、ただの戯れ言の羅列という印象しか残らなかった。(雨宮氏の饒舌な状況説明は、怪異の起こった時代背景や特殊事情、さらには怪異の発するアトモスを作り出すために必然的に書かれている。氏の文章ですらそれを逸脱すれば、ただの仰々しい装飾に堕するわけである)
そして肝心の怪異が、果たして怪異であるかどうかが、これだけの情報では非常に心許ない。ただの偶然と言えば、おそらくそれで十分納得出来る内容であるだろう。ベトナム戦争という歴史的事実を通して見るために、戦争怪談としての貴重性やウエット感があるように思えるのであるが、実際には上官がその戦友や遺品について以前から気にしていたとか、何らかの予兆があったとかの情報は皆無である。それ故に、何となくたまたま見つかった印象が強すぎるのである。さらにこの開かずの部屋にまつわる怪異の説明もないので、決定的証拠と言えるものの提示が出来ずじまいで終わってしまっている。これではいくら怪異であると主張されても、何の説得力もない(“奇談”というレベルであれば、事実関係が判明するだけで十分なのだが)。
文章の構成であるが、体験者の基地探訪記の部分は地の文でしっかりと分かるのであるが、中心となる怪異について語られる部分は、まさに会話文のままになっていて読みづらいことこの上もない。このあたりも、どちらが書き手が書きたい内容であるのか、ついつい考えてしまうところになっている。怪異の微小さは実話である以上やむを得ないが、それを書き手自身がさらにどうでもいいような印象にしてしまっているという判断であり、最低評価とさせていただいた。
【−6】