『夏の踏切』

全体的な印象としては、ストーリー重視の怪奇譚という感じであり、筆力がある分だけ読み手を引っ張ることが出来たように思う。それなりの緊迫感を維持出来たことが、好結果に繋がったのではないだろうか。
怪異の中心は“憑依”であるが、このジャンルの作品に関してはかなりの筆力が必要である。憑依現象はその異常な言動を描写して初めて怪異の価値が決まるものであり、体験者の冷静な観察を書き手がどこまで再現し、そして読み手に追体験させるかが全てと言っても過言ではない。冒頭の部分は状況説明が多くてややもたついている感があるが、憑依現象が始まったあたりからは、人物描写を体験者と憑依された玲さんに集中させ、展開を一気にスピーディーなものに変えている。この描写の絞り込みが功を奏していると思うところである。
ただし、この憑依現象そのものについてはあまり新奇なものではなく、むしろ典型的な憑依と言うべき内容である。突如として人格が変わり、普通では考えられないような声質で言葉遣いまでが豹変する。またとてつもない力で暴れ回ったり、尋常ではない動きを見せたりする。この作品でも、現象の内容としてはこの程度のもので収まっており、特殊性を感じることはあまりなかった。だが一点だけ、玲さんが憑依中にウイスキーをラッパ飲みする展開は希少であったのだが、これについての顛末が全く触れられていなかったのは厳しい。かなりの量を飲んでいるにもかかわらず、憑き物が落ちた直後の状況を見ると殆どアルコールの影響が残っていないように見えるのであるが、その部分は怪異として非常に興味深い内容であり、言及しているのとしていないのとではかなり評価が変わるところであると思う(全体的な憑依現象の流れからすると、男の霊は人命を奪う目的ではなく、酒を飲むことの方が目的だったように推測出来るだけに、この記述がないのは残念至極である)。
全体としてはしっかりとした書きぶりで怪異を表現出来ており、水準以上の出来であるとの評である。ただ怪異そのものについては突出した内容が少ないとの判断で、高評価とまではいかなかった。
【+1】