『黒い獣』

何かしら非常に曖昧な印象だけが残っただけで、結局怪異そのものについても要領を得ないところばかりが目立った。
まず、捕らえどころのなさは、体験者の当時の年齢がはっきりしないところから始まっている。分別のつかない年齢の頃の体験談ということであれば、このはっきりとしない状況を大目に見ることも出来るかと思うのであるが、“大学卒業まで帰省”という前置きがあるために、どうしてもかなりの年齢ではないかという先入観があり、どこともなくすっきりとした印象が持てなかった。とにかく薄ぼんやりとした書き方に終始しており、その不正確さが悪い方向に働いているように感じた。
あやかしの描写については、まさに極めつけの曖昧さである。一応“獣”とタイトルにあるのでそのようなものであるとみなして読んだが、具体的に“獣”であると判断出来るような容姿の記述は全くないと言ってよかった。ただ獣のような声を発して迫ってきたことが唯一の物証であり、後はこちらに迫ってくる様子にも、また弟に覆い被さっている様子にも、獣らしさは見られない。むしろ“黒い塊”のままでも十分通用するような雰囲気すらある。やはり体験者が“獣”であると判断した根拠となるような行動や容姿があって初めて読み手も納得するわけであり、この作品のレベルの情報では、到底そのあたりをクリアするのは難しいと言えるだろう。
またこのあやかしが弟に覆い被さっている間に実際に攻撃しているのかも明確ではなく、怪我の具合もほんのかすり傷程度ではないかと思われる節もあり、この顛末の弱さも怪異そのものの凄味を相当低くさせていると言わざるを得ない。
あやかしが一体何であったのかは判然としていなくても問題はない。しかし体験者が判断した根拠を示し、具体的な描写をすることで、読み手に判断させるだけの情報を作品中に提示する必要性があっただろう。その部分が欠けている以上、ただ漠然とあやかしに襲われたという次元の話で終わってしまうことになる。怪異が起こったことには疑問の余地はないが、それを“読み物”にまで昇華できなかったという評価である。このあやかしの正体に繋がる情報がもっとあれば、非常に希少な怪異であるという判断も可能ではなかったと思うだけに、残念である。かなり漠然とした怪異ではあるが、とりあえず可もなく不可もなくという評価で。
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