『忘れられない』

体験者本人の記憶だけが欠損している状態の怪異を表した作品であるが、この種の話の場合、ポイントになるのはその消えてしまった記憶の内容が本当の怪異であるかが客観的に立証できるかである。子供の頃からつるんでいたグループであれば、自分一人だけが覚えていないエピソードがあってもおかしくないわけであり、それを言い出せばきりがないからである。要するに、記憶の欠損が、その忘れ去られた怪異のせいであるというニュアンスを前面に出さなければ、ただの物忘れや記憶違いで済まされるということである。
この作品で書かれている怪異であるが、見知らぬ男の子が家に出入りしており、それを捕まえようと飛び出したが見失った。不思議に思った友人に対する体験者の返答が「この家にいる幽霊」だったということである。素のままで受け止めればまさしく怪異であるが、だが、怪異でないという説明も十分可能な内容である。男の子を捕まえようとした時、既に彼は“家の裏”に出ており、おそらく逃げようと思えば友人達をやり過ごすことが可能だったと考えられる。例えば勝手口と玄関とが一本の通路のみで繋がっているのであれば少年が消えたことは怪異であるが、そのような家の構造はほぼあり得ないわけであり、よその場所へ移動できる状況が十分想定できる。
さらに言えば、この男の子が家に憑いている幽霊であれば、友人達はもっと多くの回数目撃してもおかしくないはずである(この時が唯一のお家訪問ということはまず考えられない)。たとえそれが庭にしか現れない霊であったとしても、違和感が大きい。友人達が複数回目撃していて、たまたま捕まえようということであればまだ納得がいくが、たった一回だけの遭遇ということになると、どうもしっくりとこないのである。
そしてこの男の子が幽霊であるという証拠は、体験者の言葉以外にはなく、決定的な物証に欠けるのである。しかもこの証言自体も理由付けがない。友人達が真に受けるのは致し方ないとして、これだけを以て怪異と認定することは“実話怪談”の作品としては出来ないだろう。しかも間の悪いことに、体験者がこのエピソードを記憶していない事実が、実は適当に語ったに過ぎないという理由にも取れるのである。
結局のところ、この起こった事態が怪異であると裏付ける客観的な証拠はほとんどなく、むしろ疑えば疑うほど合理的な説明が付くという話なのである。一つでも説明の付かない客観的事実があれば、かなり面白い話になっていたと思うのだが、現状では疑念の方が大きすぎて怪異と認めることは難しい(全く怪異ではないという最低レベルまではないが、決定打に欠けるわけである)。厳しいが、マイナス評価ということで。
【−3】