『四十九日』

人は四十九日の法要が終わるまでは、生前と同じような状況で時が来るのを待っているという。それ故に、この日が来るまでは、このような死者が自宅などで何らかの現象を起こしてしまうという話はよくある。題材としては平凡であるが、ただ起こっている怪異そのものはかなり異常であると言える。亡くなった本人の普段の行動とは異なる形の怪異が続くためである。
おそらく亡くなった主人は、何とか自分の存在を分かって欲しいという一念からややこしい行動を起こしていると察する。妻の困りごとであるネズミ退治から、心電図の音を聞かせる行為(しかも電話が駄目なら位牌から聞こえさせるというのもかなりの執拗さを感じる)という、明らかに錯覚では片付けられないような行動を見せている。どうも霊というものは、生身の人間に語りかけるだけの能力を持っておらず(ある一定の能力がないと、人間とは直接会話できないというのが定番である)、それ故に自分の存在を別の物理現象を以て知らしめようと試みているらしいが、この霊の場合は非常に顕著なものを見せていると言えるだろう。さらに言えば、四十九日を終えてからも近隣で目撃されるということから相当な執着を覚えるのであるが、そのくせ何か控え目な印象もあり、そのあたりが不条理な霊の態度というものに繋がっているような気もする。とにかく怪異としては興味深いものがあり、またこの回りくどい主張には心霊現象らしいリアリティーを感じるところである。
全体を通して気になるのは、文体の極端な変化である。最初は客観的な書き方だが、それが一人称独白体、さらには完全な語り口調に変化している。この変化自体はいただけないものであるが、ただはじめから語り口調で通しても何となく雰囲気のある作品になっていたようにも感じる。亡くなった主人の仕業であると認識した上で、そこに恐怖ではなく、むしろたしなめるような意識が働いているように感じるからこそ、こういうざっくばらんであっさりとした語りの口調が似合っていると思うのである。出てこられて迷惑しているようで、しかしちょっとばかり嬉しいような気分。何となくそういう雰囲気にさせられた。
怪異としてはそこそこであり、文体の変化に問題があるものの、きちんと落ち着くところに落ち着いたという印象が残った。それ故に可もなく不可もなくというところで。
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