『小さな石碑』

怪異自体は“肝試し”ネタの定番であるが、かなりきつい内容になっていると言える。しかしこの作品の場合、怪談としての面白味という点ではかなり劣るという意見である。
この作品を読んでみると、客観的“怪談話”と主観的“体験談”との相違というものが明らかになると言える。その際たるものが、起こった怪異の部分の扱いである。この作品での怪異の肝は何と言っても、お堂に現れた女の子のあやかしである。この存在がなければ、この話はただの集団ヒステリーにより奇矯な行動を取ってしまった話で終わってしまうだろう。しかしこの作品では、このあやかしの登場部分が怪異の中心的役割であるにもかかわらず異常に少ない。最低限度の情報で霊体であるだろうとは推測できるが、それでもお堂に隠れた瞬間に床下から這うように出てくる場面などは、良い意味で恐怖を煽るためにもっと詳しい描写と説明があってもおかしくなかったはずである。しかし恐怖の本質である怪異を徹底的に表現するのではなく、体験者達の行動を逐一書くことでこの作品は恐怖を生み出そうとしている。そのために怪異とはあまり関係のない体験者達の行動までも詳細を極めて記述してしまっている。つまりここが“怪談”ではなく“恐怖体験記”であると思うところである。
体験者からすれば自分たちのその時の感情や行動に恐怖の意味があるのであって、そこで起こった怪異そのものはあくまでその契機に他ならないのである。それが主観的な“体験談”の様相であり、あくまで自分達の証言が本質なのである。しかし読み手が中心となる客観的な“怪談”は怪異を表出させることが主眼であり、“あったること”を書く以上は、体験者の恐怖感の方が付随的役割を担うことになる。読み手からすれば、怪異よりも体験者の言動が中心で恐怖が展開する状況は、あまり面白味を感じることは少ない。むしろあまりにも怪異があっさりと書かれすぎている場合は、物足りなさや平板さを覚えてしまうだろう。まさにこの作品はその印象を大きく与える結果となってしまったと言える。
よいネタであるのだが、こういう部分で面白味に欠けるきらいがあるため、高評価を得るのは難しいと判断する。可もなく不可もなくというところで落ち着かせていただいた。
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