『酔煙』

かなり珍しいあやかし目撃譚である。煙の状態でありながら明確な意志を持ち、また鳥を金縛り状態にしてみせたりする能力も持ち合わせている。最後に鳥居をくぐって社の方へ飛んでいったとあるので、おそらく神様かあるいはその眷属だったのではないかと推測する。それ故に、体験者も悪意があるとは思えず、また身の危険を感じなかったのであろう。そう考えると、さらに希少殿高い作品であると思う。
気になるのは、この煙の書かれ方が気体っぽくなく、いかにも質感を持った固体のようなものであるという点である。木から鳥が落ちてきたのと同じオノマトペで白い煙が“ぼとり”と落ちてくるところから、既に固体のような認識をしている。そして体験者に気付いた時の“俯いて歩いていた人が、すぐ目の前に人がいることに気が付いた”ような反応の仕方、さらには立ち止まっていたのが“突然振り返り”という表現を煙のあやかしに使っており、まさに煙に人格があるのと同時に、ある程度の姿形があったのではないかと思わせるところがある。少なくとも体験者は、この煙が単なる気体ではなく、むしろ立体的な影のようなものに見えていたのではないかと推測する。だからこそ、煙に視線を感じたり、前と後ろがあるような表現をしたのではないだろうか。
もし上の推測が正しければ、非常に勿体ない書き方をしたという意見である。体験者は“意志を持った煙”として認識し、書き手もそのままを書いているのであるが、むしろ“煙状をした意志ある存在”とみなして書くべきだったと思う。最初に書いたように、状況をつき合わせるほど、この存在は単なる霊ではなく神霊に近いという意見である。当然普通の霊体験よりも希少なものである。だからこそそれを意識して、そういう情報を体験者から引っ張り出す(記憶の淵から拾い上げる)ことが出来れば、さらに素晴らしい作品となっていただろう。霊に対する造詣の深さ(経験則的な側面も含む)は、良い怪談の書き手になれるかの条件の一つであると思うところが強いわけである。
現状でも希少性の面で評価できる内容であり、十分堪能できる怪異譚であると言える。そこそこのプラス評価とさせていただきたい。
【+2】