『可愛いお願い』

この作品の問題点は、既に他の講評でも出尽くされているように、この少女が本当にあやかしであると証明するために、体験者の認知のスピードと、両者の距離を明らかにすべきというところに集約されてしまう。
まずこの怪異があった時の人の混み具合を明示し、さらに少女が体験者の視界のうちに登場したことを書く必要があったと思う。さらに捨てぜりふの声の大きさと、それに反応して顔を上げた体験者の素早さを書くことで、少女が人混みにまぎれて消えることが出来ないという状況を生み出さねばならなかっただろう。
特に問題になるのは、体験者の反応の鈍さである。最初に声を掛けられた時に“5秒”という具体的な遅さを出してしまったために、読み手の印象は“かなりのろま加減”という刷り込みがなされてしまったものと考えられる。その印象が文面からも読みとれ、体験者と少女とのやりとりの間に、体験者の行動や心情を思い切り挟み込んでいるので、そこに大きなタイムラグが生じており、読み手は体験者の反応が鈍いと感じるようになっている。特に「使えない奴ぅ」という捨てぜりふから体験者が顔を上げるまでのタイムラグは致命的なほど長いと言うべきだろう。体験者のドギマギ感を書くことで全体をコミカルにしようという意図は理解できるが、そのドギマギする気持ちを言葉にして説明描写する間に失ったものの方が大きい。
読み手は言葉を追うことでしか、怪異を追体験できない。特にこういう“気付き”の場面で言葉が間延びしてしまうと、この作品のように完全にタイミングを逸して、怪異そのものに疑問符が付いてしまうこともあるわけである。ペットボトルが手から消えていた瞬間の“気付き”がなかなか上手かっただけに、大変惜しい気がする。
周囲の冷たい視線によって、体験者が実は独り芝居のような格好でやりとりをしていたと解らせるなど、かなり練り込まれた表現力を持っていると思うが、怪異の肝の一つである“気付き”でミスを犯しているということで、評価は下げさせていただいた。特に少女が生身の人間である可能性を文章によって作り出してしまったミスは大きいと思うので、若干のマイナス評価ということで。
【−1】