『月夜』

非常に格調高い文章によって綴られているのであるが、残念ながら怪異の本質を鑑みると、この文調が決して成功しているとは思えない。むしろ怪異の内容に比べると上品すぎて、しっくりこないという意見である。
怪異はまさにインパクト勝負の内容であり、迫ってくるハイヒールの音に怯えているさなか、いきなり脇から覗き込むように顔がニュッと現れるという、一瞬のうちに終わってしまう怪異である。どちらかというと、勢い込むように怯えから恐怖、そして怪異の瞬間を一気呵成に書いた方が、読み手の興味をグッと引き寄せることの出来る内容であると思う。この作品でもじわりととあやかしが迫ってくる様子が分かるのだが、やはり最後の顔が覗き込む場面でのテンポがやや緩やかであり、どうしても一気に恐怖の沸点にまで上げられていない弱さを感じるのである。はっきり言えば、怪異の本質を的確に表現出来ている文調ではないという意見であり、書き手の技巧の発露の場に過ぎないと感じるところの方が大きいわけである。特にタイトルの「月夜」が怪異とほとんど絡まっていないことで、書き手が怪異の本質をあまり吟味せず、むしろ自分の書きたいように書いているだけだという失望感を覚えた。
文の格調では完全に一歩抜きん出ていると思う。しかし“実話怪談”は技巧だけでは成り立たない。“あったること”として記録される怪異に見合った雰囲気を生み出す文体なりを創出してこそ、書き手の存在価値があると思う。“実話怪談”の世界は、怪異の本質を見ずに己の表現力だけで作品を成り立たせる場ではないのである。もし己の技巧にのみ頼るのであれば、こんな窮屈な“実話”よりも創作に転出した方がいいとさえ思う。
仮に怪異が遠目で曖昧然とした内容であったならば、あるいはこの作品の怪異の前半部分であるハイヒールの音がひたひたと迫ってくるような雰囲気の怪異であったならば、この書き方は怪異の本質に適したものであると思う。しかしこのようなインパクト勝負の怪異で、この冴えたレトリックを駆使する文章は麗しすぎると言える。非常に惜しい気はするが、やはり可もなく不可もなくという評価で落ち着かせていただきたい。個人的にはジメッとした雰囲気を醸し出す怪異を、この文体で読んでみたいと思う次第である。
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