『暑い夜に』

昔の思い出と共に甦る不思議譚という印象で、なかなかいい感じに作られていると思った。体験者のその当時の記憶を書き手がしっかりと再構成しており、読み手も安心して追体験することが出来る内容であるだろう。
ただし客観的な怪異の記録としては、この体験は微妙な印象の方が強い。さすがに寝ぼけている状況ではないと判断は出来るが、果たしてその涼しい風が自然に吹いてきたものではないという確証については、やはり決定打に欠けるところがあると思う。おそらくこの部屋のどこかにあるだろう“窓”の位置が分からないために、この風の正体を曖昧なものにしてしまっている。はっきりと窓から吹いてきた風ではないという記述があれば信憑性は確かなものになるはずなのに(扇風機やクーラーはしっかりと否定されている)、その単純な否定がないのはかなり疑念を抱くところである。
そして翌朝のエピソードが、さらに不自然な内容になっている。ヤツデの葉と黒い羽が置かれていたことは事実であるが、それらが置かれていたことに対する疑問を体験者がほとんど持っていないような書かれ方になっている。むしろこの葉っぱがヤツデであることだけが読み手に伝わればよいという印象すらある。つまり一言も書かれてはいないが、体験者も書き手も昨夜の風が天狗の仕業であることに強引に誘導しようとしているように見えるのである。それ故に、昨夜から翌朝に掛けての一連の怪異の展開について、何となくあざとさを覚えるのである。つまり、初めに結果ありきの再構成をおこなって、読み手を天狗の仕業であると刷り込もうとしているのではないかと思うところが大きいのである。
もしかすると、体験者と母親との間ではもっといろんな会話が交わされた可能性も否定出来ない。しかしながらこの作品で書かれた情報だけを精査すれば、やはり意図的に特定の結論に導こうという印象は免れ得ない。天狗のイメージを作り上げることには反対はしないが、もうちょっと上手く自然な流れで誘導しないと、あざとさが先走って信憑性そのものにも悪影響を与えることになりかねないと言える。
マイナス評価まで下げる必要もないが、プラス評価とするだけの要素もないということである。子供時代の思い出話としては好印象なのだが、やはり怪異と判断する部分での弱さをカバーするには物足りないわけである。
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