『母の日に』

怪異の内容としては、どこかで見たことがあるというレベル、また小粒という印象である。ただ適度な長さでスラッと読めるようにまとめられているので、怪談話としてはそこそこという評価である。登場人物の感情の流れを全く無視して“あったること”だけに圧縮して、いわゆる“投げっぱなし怪談”にすることも可能であると思うが、ほんわかとした“ジェントル・ゴースト・ストーリー”を間違いなく指向しているのでこの分量は妥当であると判断するし、怪異の本質を考えれば、この構成については支持すべきだろう。
しかし“投げっぱなし怪談”にせずに、きめ細やかなストーリーを展開させるならば、やや書き足りないと思う点がある。体験者の感情描写をしっかりと書いている以上、それなりの取材がなされていて当然であり、それを思うともう少し状況描写の部分で言及されるべき部分があってもおかしくないと思うのである。即ち、少年の霊に渡した花束はどうなってしまったのか、そしてその場に居合わせたであろう花屋のリアクションはどうだったのか。映画に例えるならば、この作品の場合、体験者の表情のアップシーンと少年が走り去っていくシーンだけが交互に映っているだけで、それ以外のディテールが全く画面に映し出されない状態と言っていい。映画であればそういう演出もありなのかもしれないが、実話怪談の場合、それらのシーンばかりで構成されてしまうと、どうしても“体験者の主観”だけで客観的な物証に乏しいのではないかという印象を与えてしまう。体験者があまりの出来事に周囲の状況を覚えていない可能性は否定出来ないから、取材でも明らかにならなかったとなるケースはあるだろう。しかしそれでも、花と店員について何かしらの言及(それがたとえ「どうなってしまっていたか覚えていない」という表記であったとしても)がある方が、リアリティーの確保の目的にとっては非常に有効であるという意見である。敢えて主観的な視点から外れて状況を冷静に描写する部分があった方が、結局、体験者の見たものに対する説得力が増すというのが、実話ならではの特殊性であると思う次第である。
怪異の本質を的確に把握している点、それなりの筆力でストーリーが展開している点があるので、小粒な怪異であるがそれなりに評価したい。ただし、怪異を補完するためのディテールに弱い面があるので、プラス評価までは至らずということで。
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