『提灯』

小粒な怪異であるが、それなりに不思議な内容であるし、敢えて怪異に突撃してより一層深い追究をしなければ怪談として書くべきではないということもないわけで、これはこれで十分な怪異である。しかし表記や構成の面でしっくりとこない部分がいくつかあり、それが引っ掛かってしまって損をしていると言わざるを得ない。
体験者が実家に戻り、そこから100メートルほど離れた祖母宅へ行った時の話としながら、なぜか「神社があるらしい」という表記になっている。これが大きくつまずいた箇所である。この表記が正しければ、体験者は自分が長年住み慣れた場所にもかかわらず、見慣れぬ神社に遭遇したとしか受け取れない。即ち神社そのものが怪異ではないかという印象に囚われてしまったわけである。それ故に、神社内に煌々と輝く光自体のインパクトがほとんどないように感じてしまった。誤表記ではあるとは推測するが、怪異の本質に関わる重大なミスであるため、厳しい評価をせざるを得ない。
そして最後の母親の言葉もいかにも取って付けたような感が残った。体験者と母親は一緒に祖母宅に行っているわけだし、しかも体験者が神社の灯りについて祖母に話しかけた場面でも母親は同席している。それなのに、帰宅してから「神社、真っ暗だったじゃない」と切り出されると、何か不自然なリアクションという印象になる。もっと早い段階でこの言葉を発する場があったのではないかと感じるのである。少なくとも祖母との会話の最中に、母親が「灯りがついてなかった」否定するのがごく自然な流れではないと思うのである。ただこの母親のセリフも“やっぱり”とかの念押しの一語があるだけで印象が変わるものであり、やはり言葉が足らないと推測すべきなのかもしれない。
怪異を表現するというのは、或る意味、普通ではあり得ないものを描写する必要性があり、少々の言葉足らずを“常識的知識”の範疇で軌道修正出来ない面が多分にある。言葉一つの使い方で、書き手が意図したものとは全く異なる事象として読み手が認識してしまい、それが最後まで誤解を生み続けるというケースは少なからずある。我々が共通して認識出来る存在であれば何とか修正して読み取ることが出来るが、怪異の場合は表記の額面通りに想起するしかないので、誤表記は致命的なものになりやすいわけである。それ故に、怪談の場合、特に怪異に直結するものの描写や表記については細心の注意を払わなければならないと考える。
この作品の場合、特に最初に挙げた「神社があるらしい」の表記で大きな誤解を与えるという意見である。それ故に若干のマイナス評価とさせていただいた。怪異そのものについては可もなく不可もなくというところである。
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