『呪詛』

とにかく筆力はあるという印象。展開が非常に滑らかに感じるし、徐々に核心に移っていく流れはしっくりくるものがある。かなり書き慣れた書き手であると推測する。
しかし違和感を覚えるのは、タイトルにまで使われている「呪詛」という言葉を出してきた根拠である。体験者の“あったること”をそのまま読んだところで、呪詛に直結するだけの内容がない。体験者が“見える”人であることをしっかりと説明し、それ故に特殊な能力によって何かを察知したのだろうと考えることは可能であるが、何故このケースを呪詛としたのかの理由は判然としない。おそらく今まで元気だった患者が突然異常をきたしたこと、そしてその患者の周辺が何か曰く付きであると推察出来ること、そのあたりの状況証拠で推し量ってくれということなのかもしれない。しかし状況証拠とされる内容を精査しても、あくまで「かもしれない」というレベルである。タイトルにまでしているからには、体験者の確信、そして書き手の直観というものが取材の中にあったのだろうと、個人的には思う。だがそれが作品のどこかに滲み出てくるような表現がないと、どうしても強引な理由付けで終わってしまうとしか言いようがない。
特にその強引さを非常に感じてしまうのは、最後のまとめ的な部分で「呪詛」という言葉を書き手の方から切り出している部分である。この歯切れの悪いやりとりこそが、裏を返せば、実は呪詛がおこなわれていたことの証左となる部分とも取れるのであるが、ただコンパクトにまとめ上げてしまおうとして、かなり無理に話を進めてしまったという感が強い。そこに引っ掛かりを感じてしまうのである。もっと具体的に言えば、体験者が患者と対面した時に感じたものを全面に出すことが出来れば、もっと鮮やかに怪異の本質が切り出せたのではないかという思いである。あるいはこの怪異の体験において「呪詛」という側面を強調する必要性があったかどうかも、書きぶりから疑問を呈するところではある。
正直なことを言えば、このもやもや感がもしかすると書き手の意図するものではないかという気もしている。本当は体験者から呪詛だろうという回答を得ていながら、わざと問題を振ったというわけである。即ち、体験者の確信そのものが、いわゆる“神懸かり”的なものであって、客観的な証拠を持たないが故に、こうしたわざとらしい表記で敢えて読み手に伝えようとしたのではないかとも考えることが出来るように思うわけである。ただそれが書き手の真意であれば、この最後の部分はもう少しやりとりを書いた方が無難ではなかったかと思うし、タイトルにまでわざわざ出すことも変な刺激の仕方ではなかったかという意見である。やはり体験者がもっと確信的に呪詛であると感じていることを明瞭にし、書き手とのやりとりを取材の再現という形でボリュームを出した方が、呪詛を強調するためにはベターではなかっただろうか。
非常に難しい判断を要する怪異譚であるが、敢えて書き手の意図を善意に解釈することで一定の評価を出したいと思う。一言だけ付け加えるならば、やはり書き手の文章の達者ぶりが善意の解釈に繋がっていることだけは、個人的評価の中では確かであるとしておきたい。
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