『風船』

作品のタイトルは、何と言っても作品にとっては看板であり、読み手とのファーストコンタクトの場である。場合によっては、タイトルを見た時点で作品に対するイメージが形成されることもあるし、それが最後まで作品全体を支配することもあり得る。
特に怪談は、以前にも述べた通り、一般常識を超えた存在や現象を取り扱う。それ故に、比喩的な表記によってその形状などを印象付けることが重要になることも多い。的確な比喩が施されたあやかしの描写は、人智を超えた存在を明瞭にビジュアル化させることで、より一層のリアル感を生み出すことが出来る。また超常的で、複雑な形容を要する存在に対して的確な輪郭を与えることも出来る。とにかく比喩に長けた文章は、怪異表現にとって大きな武器であることは間違いない。しかし、その比喩が早い段階から固着してしまったために、却ってイメージが限定されてしまって要領を得なくなるケースもままある。この作品では、タイトルの“風船”がまさに誤解を招く言葉であったわけである。
読み手からすれば、タイトルの“風船”が怪異のキーワード(怪異の直接的描写であるか、あるいは関連付けるためのガジェットであるかは判然とはしないが)であると読み解くのが自然な流れである。そこへ来て、最初の数行でいきなり“奇妙なもの”が現れるという展開によって、いよいよ風船が怪異と関わりある存在であるという先入観に満たされる。そこで登場するのが“黄緑色のネズミ”。こうなってくれば、“風船”がまさに“黄緑色のネズミ”というあやかしと同化してしまうのは、やむを得ない誤解と言えるだろう。さらに直後の描写で“四つの足を動かしながら”とくれば、もはや丸い体躯に短い足が付いたような、マンガに出てきそうな珍妙なあやかしのイメージが強調されてしまうはずである。
結局のところ最後まで読むと、“風船”というのは父親のあやかしに対する証言であって、どうも体験者の見たものの形状イメージとは別のような気がしてくるのであるが、イメージの固着を払拭するまでには至らなかった。最初に刷り込まれた比喩のイメージの強烈さが、ある意味作品全体を覆い尽くしてしまった感がある。またあやかしを“風船”と言った父親の証言そのものについても、果たして怪異の本質として適切な情報であったか(体験者本人は父親の証言を真に受けてない節が明白である)。むしろこの怪異については、体験者自身が見た“黄緑色のネズミ”という表記だけで十分であると思うし、それが車に飛び込んできて同乗の父親にも聞こえるほどの大きな破裂音をさせ、最後に確かめると何かが轢かれた痕跡もなかったという“あったること”の記述だけで完結させてしまった方が、しっくりくるように感じた。なまじ思わせぶりな比喩の言葉をタイトルに持ってきてしまったために、逆におかしな印象を作り上げてしまったという意見である。
怪異としては“投げっぱなし怪談”でも良かったようなインパクト勝負の小粒なネタであり、怪異そのものについて下手に紛らわしい状況を生みだしてしまった記述を考えると、どうしてもマイナス評価となってしまった。
【−2】