『毎度!』

小気味よいテンポでさくさくと読ませる作品である。一文一文が短く、そして的確に描写されているために、情景が把握しやすい。そのために読み手が場面を容易に想像でき、しかもそれが連続して展開していて飽きさせない。言うならば、一文が漫画の一コマのような感じになっており、ほとんど負荷なく読むことが出来ると思う。
また書かれている内容についても、徹底して“あったること”のみを書き連ねている。特に体験者自身の感情を示した言葉は皆無であり、ただその言動だけをしっかりと描写している。体験者の気持ちを挿入してしまうと、おそらく話そのものがくどくなり、一気に重い雰囲気が出来てしまっただろうと想像する。このあたりは意図的に感情的な言葉を飛ばして、作品の雰囲気を作り出したのではないかと推測する。
怪異そのものであるが、かなり類似性の高い話をいくつか記憶している。特に、物陰に隠れたと思ったらそこには人間が入れるような隙間がなかったという話は多々あるし、自動販売機に潜むあやかしというのもそれほど珍しいものではない。だが文章全体の雰囲気によって怪異の本質が非常によく見渡せる分だけ、多くの類話より抜きん出ているという印象がある。たとえば、読み手を驚かせようとしておどろおどろしい書き方にしてみたり、何かしらの余韻を残そうとして感傷的な言葉を散りばめてみたり、そのような小細工めいた文章にしていたら、おそらく怪異の持っている「日常の中のエアポケット」とも言うべき不思議な感覚は得られなかったと思うし、怪異そのものの印象を歪めてしまう恐れすらあるだろう。あくまでもこの怪異譚は、体験者すら呆気に取られるほどの奇妙さが本質であって、決して恐怖を煽るような雰囲気ではない。書き手はその感覚を汲み取って、敢えてまどろっこしくなる体験者の感情や必要以上の修飾的描写などを取り払って、ひたすら“あったること”だけを軽やかにまとめ上げたと言えるだろう。具体的な例を挙げると、あやかしである少年の容姿であるが、細かな服装とか背格好を全く書いておらず、ただ「目の大きな、可愛い子」に集約している。本来なら詳細を要求したいところなのだが、“大きな目をした可愛い男の子”で十分だと思わせるぐらい他の文章もあっさりと表現されてしまっており、しかもこの言葉だけで雰囲気が掴めてしまう。怪異の記録とか情報といった細かなところに読み手を誘導するのではなく、とにかく話のテンポの良さで納得させてしまうことに成功しているわけである。
ただし、どうしても怪異としてはインパクトの弱い内容であることは否めないし、小品である。完成度の高さは相当、多分商業誌に掲載されても十分に耐えうるだけの作品であると評価できるが、大ネタクラスの作品と同列評価することを考えると、やはり評点そのものはある程度抑えざるを得ないと判断する。小品としては、限りなく高評価ということだけは、声を大にして言っておきたい。
【+3】

『紙ヒコーキ』

同じ行為が繰り返されつつ、それがどんどんエスカレートしていくことで怪異のクライマックスを迎えるという展開である。落ちている紙飛行機を次々拾い上げ、ようやくその真意に気づくあたりから一気に読むことが出来た。怪異の展開もその結末も、陳腐と言えばそれまでの典型的な内容であって、目新しさはほとんど皆無である(強いて言えば、追いかけてくるものが“金髪の大女”というのが希少であるが)。しかしそれを乗り越えるだけの描写力で、体験者の切迫した状況を説明できているために、それなりの読み応えがあったのは事実である。意地悪な見方をすれば、これらの迫真の描写も紋切り型まではいかないが、この種の展開でよく見る表現が多々あるということになるのだが、ある程度はやむを得ないところかもしれない。
だがこの安定的な書きぶりが、この作品の強味であると同時に、大きな足枷ともなっている。要するに、あまりにも整いすぎた展開に見えてしまうために、何となく「創作臭さ」を感じてしまうのである。この作品で言えば、次々と紙飛行機を拾っていく流れ、拾っていくことで氷解するメッセージ内容、禍々しい存在に命を狙われて追い詰められていく展開、そして最後にミッションを完了すると嘘のように全てが解決する結末、どれを取っても「どこかで見たような」話であり、実話怪談でよく見られるような「作り話とは思えない」不自然な部分を見つけることは困難である。それに輪をかけて、書きぶりが流れるような描写であるために、適当に事実を都合よく変えているのではないかとの疑念が生じてしまうのである。
実話怪談を読む者からすると、あまりにも支離滅裂な展開も胡散臭い(自称体験者の妄想ではないかとの疑い)が、整然とした展開もそれ以上に嘘臭いと感じてしまうものである。この作品で言えば、怪異に巻き込まれている最中の体験者の心情が書かれている部分が、最も創作的なニュアンスを感じる。特に大女に追われていると気づき、最初に紙飛行機を見つけた場所まで走って行く部分の心情の流れはよく整理されており(おそらく聞き取りの際に体験者が冷静に思い返したのをなぞったものだと推測する)、そこまで考えて走っているとは思えない印象がある。描写を劇的に仕上げようとする書きぶりは許容できるが、やはり体験者の心情がここまできっちりと書いてあると、状況を鑑みると、どうしても作ったのではないかという気にさせられる。
そしてこの冷静な体験者の心情が書かれた後で、作品の締めくくりとして再び体験者の現在の心証を書くというのも、創作的な印象を与えていると言えるだろう。“あったること”を書くことではなく、体験者の心情を書くことに主眼が置かれているように見えるわけである。創作の世界にまでバリエーションが持ち込まれるぐらい型にはまった怪異の展開であるが故に、敢えて小説的な構成や効果を持ち込まなかった方が、良かったのではないかという意見である。紙飛行機をお寺に預けた際のエピソードで終わらせた方が、実話としてはリアリティーを得ることが出来たように思う。
筆力などを考えれば当然プラス評価なのであるが、単体の作品として見た場合、どうしても「創作的」という言葉がついて回る印象から抜け出せない部分があるということで、高い評価までは至らず。
【+2】

『嬲視線』

怪異としてはなかなか興味をそそる内容である。見えない何者かと浮気をする妻、そしてその見えない存在とのツーショットと考えられる写真の存在、さらにその見えない存在を紹介されて視線に怯える娘。ある意味物証と呼べるものは揃っており、単なる思い過ごしであると錯覚とは思えないだけの説得力があると言えるだろう。ただこれだけの内容がありながら、どうしてもリアリティーに欠ける印象を覚えるのである。
一番厳しいと感じたのは、劇的な効果を考えた末の結果であろうと推測するが、時系列を敢えて変えた構成である。これが却って悪い意味での「小説臭さ」を醸し出しているところが、非常に気になったわけである。またそれに輪を掛けて、感情を剥き出しにした会話のやりとりを中心にした展開になっており、そこに加えられる心理描写もやや大仰で、何となく客観的で冷静な雰囲気が出てこなかったというところもあるだろう。とりわけ体験者と妻のやりとりの部分は、異様なシチュエーションも相まって、どことなく日常から乖離した芝居っぽさにも似た印象を受けてしまい、かなり浮いてしまったように見える。そしてその浮いてしまったのが却って目立つために、その後に控える娘の語る怪異の真相(ここが即ち怪異の肝の部分)が、どうしてもインパクトを薄められてしまったと言える。さらに言えば、ここでも時系列をいじって怪異の真相を一番最後に持ってきているのだが、これがタイトルにある“視線”という言葉からある程度オチが読めてしまっており、逆に話を引っ張ってしまったために興を削がれてしまった。
怪異の内容は先に言ったように、この種の話としては物証が多いだけに、特に強烈な味付けをするまでもなく、それなりに読めたという意見である。個々の内容については何となく決定打に至らない物足りなさはあるものの、この作品のように劇的な効果で飾り立てて書く必要性はあまり感じない。むしろ煽った書き方をしたために、逆に怪異そのものの内容の弱さが際立って、読後の感想としては変な部分に力点が置かれてしまった、何となく違和感を覚えるレベルであった。
正直なところを言うと、この怪異譚は時系列的に並べて“あったること”を書いたとしても、怪異のインパクトを最大限に活かすことが難しいと思うところが大きい。物証はあるものの、怪異を直接的に決定付けるものがほとんどなく(要するに妻と娘の証言だけが頼りであり、写真も妻が否定してしまえば言い逃れられるようなレベルとしか受け取れないような書き方である)、話者である夫からの視線だけでは怪異の再構築は非常に不利な状況であるだろう。それ故に、書き手は構成部分で少々無理をしたのだろうと推測するが、結局それでも怪異を活かしきるところにまでは至らなかったと言える。文章で書いてしまうと余りにも平板な展開となってしまう、むしろ語りで表現した方が印象は良かったのではないかと思う。書き手の努力の分だけプラスとするが、作品そのものとしては余り高く評することは出来ないという意見であり、総合的には可も不可もない評価で落ち着かせていただく。
【0】

『その声』

不可解な状況で人が失踪してしまう怪異譚であるが、作品全体の雰囲気が絶妙である。特に体験者と彼氏との電話のやりとりは、ちょっとしたチグハグ感から一気に事態が錯綜したただならぬ展開へと変化し、体験者自身の困惑した感情をしっかりと作り出していると言えるだろう。読み手も体験者同様、どのような事態になっているのかがよく分からない感じで展開を読んでいく形になるので、この会話の部分は怪異の肝ではないにせよ、薄気味悪い場を生み出す原動力になっていると思う。この部分を体験者の感情描写を取り混ぜて事細かに書き綴っていたら、おそらく間延びしてしまっていただろう。(ただしこの会話がそこまで意図されて書かれていたかについては少々疑問があり、書き手の文章そのものが至ってシンプルであり、また地の文の展開もかなりザクザクと進めている感がある。偶然の産物というのが真相であるかもしれない。しかし作品としては非常に好ましい結果であることは間違いない。)
怪異の肝の部分、つまり失踪した彼氏に話しかけた謎の女性の声についてであるが、表記に関して少々違和感を覚えた。私自身が「音声合成ソフト」について疎いせいもあるが、具体的なソフト名を挙げられてもパチッとくるものがなく、またそれが伏せ字で表記されてしまっているために、さらに置いてけぼりを食らわされた感が強かった。以前にも指摘したのであるが、怪異そのものについての比喩で具体的なキャラクターを出してくるのは、変なイメージの固着に繋がるので極力避けるべしという意見である。今回でいえば、個人的にその分野の知識が乏しいために、却ってイメージが湧かないことになってしまったわけだが、いずれにせよ得体の知れない存在を固有名詞で喩える手法は危険を伴うことが多いと言えるだろう。この作品の場合、「棒○みちゃんの声」の代わりに「そんな声」でも十分意図は伝わると思うし、むしろその方が素っ気なくて全体の雰囲気に適合しているように思うところが大きかった。
全体を通して言えば、仰々しい言葉を使わず、敢えてトーンを落とした印象を通すことで、あまりにも不可解な出来事を冷静に語っているという効果が出ているという意見である。この抑制の利いた書きぶりが、怪異の異常性を際立たせており、あとからじわじわと恐怖感を揺さぶることに成功していると思う。あり得ない事態を語る時は、興奮した調子ではなく努めて冷静な姿勢で表現する方が、受け手にとって重くのし掛かってくるわけである。その点で、この作品は非常に巧く構成されているという印象を受けた。
【+3】

『雪上登校』

雪国ならではの習慣から起こる怪異譚であり、体験者の子供時代の思い出話という形を取っている。しかも会話も全て方言であり、ローカルさを全面に出してくることによって、古き良き怪談の雰囲気を醸し出していると言えるだろう。読んでいてホッとする印象を与える作品である。
作品の構成についても、オーソドックスな正統派。シチュエーションの説明から時系列的に怪異を展開させて、最後にしっかりと怪異であったことを説明するというスタイルを取っている。こちらも抜群の安定感があり、文章そのものも特に過激さや先鋭さを抑えた、正調の描写や説明で手堅くまとめている。とにかく奇を衒うことなく、しっかりと物語を読ませることに書き手が専念していることが分かる。
特に巧みだと思うのは、会話の部分である。東北訛りを上手に文字化してスムーズに読ませることに成功している点もさることながら、会話の連続によってどんどんとストーリーに引きずり込むことに成功している点は評価すべきである。会話の応酬による臨場感が、この怪異体験の記憶を強烈なものにしているのは間違いないところである。とりわけ後半部分の、上級生とのやりとりによってあやかしの正体が白日の下に晒されるあたりは圧巻と言ってもおかしくない、緊迫感に溢れたものであると思う。
怪異については、スロープを滑り上っていくという物理的にあり得ない現象が起こっており、最後にあり得ない容姿の子供の存在を提示するという、二段構えで固めている。どちらかだけの怪異で話をまとめていたら、おそらく信憑性に乏しい内容となってしまって胡散臭さが目立ってしまう結果となっていたであろう。スロープの件は体験者自身の目の錯覚、あやかしの目撃は上級生の口からでまかせ、という批判で斬り捨ててもおかしくないわけである。しかし、連動するようにして起こった怪異について、全く別の二人の人間が異なる視点から体験することによって信憑性を積み上げている。それぞれの怪異の状況説明が微妙な印象であっても、こうやって二段構えの証言で読み手を納得させることに成功しているという意見である。
全体を通して作品に安定感があり、なかなか読ませる作品という印象であった。特に瑕疵も見当たらず、怪異についてもそれなりの信憑性があると思わせるレベルであった。高評価である。
【+3】

『見ないでよ!』

「怪談落語」のエロバージョンと言うべき、なかなか面白い作品。おそらく酒の席に語ったら大うけするような、小粒ながら非常によくまとまった怪異譚であると思う。
この作品の一番の肝は、女性のあやかしが言い放った「見ないでよ!」という言葉を、体験者が実は誤解していたというオチにあると言えるだろう。全裸の女性のあやかしが自分の方を見て「見ないでよ!」とか言ったならば、意味を受け取り間違えてもやむを得ないと同情するし、まさか「皆いでよ!」ということで大量の全裸の男性のあやかしと一緒に狭い部屋にすし詰めにされるとは、予測不能な展開としか言いようがない。まさに天国から地獄のシチュエーションギャップが生み出す笑いは、突拍子のない分だけナンセンスでマンガチックである。その軽いタッチに合わせるように、文体も少々大雑把な感じではあるものの、飄々とした書き方になっており、全体の雰囲気を作っているという印象である。
ただし、体験者の“誤解”を際立たせるためには、あやかしのセリフは「ミナイデヨ」というようにカタカナ表記であった方が、より読み手には解りやすかったのではないかと思う。「見ないでよ」と誤解する場面では、体験者の行動を読めば、読み手も「見るな」という意味で捉えることが出来るだろうし、本来の「皆いでよ」で使われている場面では、後に続くセリフの内容があれば確実に読み取り可能であると言える。さすがに「ミナイデヨ」=「見ないでよ」=「皆いでよ」に気付く読み手はよほど敏感だと思うので、カタカナ表記の方が書き手の意図を明確に出来ただろうという意見である。
いわゆる書き手側の笑いの仕掛けの面ばかりが全面に出てくるが、怪異そのものも結構ハードな内容であり、怪異譚としてもしっかりしていると言える。100枚ぐらいの御札を貼り付けて封印しているという点、しかも封印が解けるといきなり怪異が発生する点、そして御札の数だけと思うぐらいの大量のあやかしが出現する点。“全裸”という条件によって何となく下世話な方向へ印象が流れている感が強いが、怪異そのものはもしかすると相当強烈ではないかと、ふと冷静になってみて初めてゾクリとくる部分があるのも、この作品の気の利いたところである。実際に御札を貼り直したらどうなったのかも知りたいとは思うが、体験者が押っ取り刀で御札を買い求めに走るところで話を止めるのも書き手の意図の反映と考えると、納得のいく手法であると言えるだろう。
全体的に書き手が何を意図して書こうとしているかがよく分かる作品であり、ある意味、その意図が怪異の本質を射抜いていると言える。巧くまとめてきた作品という意見である。カタカナ表記については、個人的に不満の残る部分ということで、若干厳しめにさせていただいた。
【+2】

『赤いランドセル』

創作の手法に近い書き方をしているのであるが、それが却って裏目に出てしまった感がある。怪異の肝となる内容を時系列の流れの中に組み込まず、敢えて体験者の記憶のフラッシュバックとして話の末尾に置くという手法であるが、巧くはまってしまうと相当な余韻を得ることが出来るだろう。しかしその効果を得るには、実話というハードルの高さ、そしてストーリーの展開に問題があったという印象である。
一番問題と思うのは、時系列の流れにおいて怪異を体験した部分の描写の拙さである。具体的に言えば、体験者があやかしの両足を引っ張ったところからの描写に曖昧な点があるために、その状況を把握することが非常に厳しかった。スカートだけが脱げてしまった状態で木棚に引っ掛かったのか。引っ張った両足のポジションが明確に書かれていないために、身体がバラバラになってしまったようにも見えてしまった。このあたりは“あったること”としての怪異の記録が整理されていないと指弾されてもやむを得ないレベルであるだろう。そしてこの曖昧な状況提示のまま最後の肝の部分を後から書き足してしまっているので、さらに把握が難しいことになってしまっている。一般的な常識が通じない超常現象を描写するのは、ある一定レベル以上の筆力が必要となる。特に実話怪談の場合は、この超常現象をいかにリアルなものとして読み手に提示出来るかが生命線であると言っていいだろう。この作品では、結局のところ、創作の手法を用いて恐怖感を煽ろうと意図したところまでは良かったが、その代償として“あったること”としての怪異そのものを判然としないものにしてしまった。要するに、実話怪談の暗黙の条件であるリアル感の創出を殺してしまったために、何かしら信憑性に疑問符が付いてしまったと言えるだろう。
またこの印象を助長させるのが「カカカカカ」という擬音である。これが恐怖のために歯をかち合わせる音であることが最後に分かる仕掛けになっているのであるが、やはりこの擬音を最終行に持っていく手法は創作的であると言える。そして残念ながら、このやり方も実話としてのリアル感を失わせている。
さらに言えば、体験者の恐怖の記憶を引きずり出してくるガジェットとして登場する、鉛筆のキャップもあざとい演出であると言える。姉がもらったキャップが、ランドセルの中にあったのと全く同じもの、あるいは同種であると認識出来るものであればいざ知らず、単純にキャップの存在だけで体験者が恐怖の体験を思い出すというのは、かなり不自然な流れてある。意地の悪い見方をすれば、意図的に話を組み立ててこじつけているのではないかと思われてもやむを得ないだろう。
実話怪談だから時系列的な構成でなければならないというルールはないと思う。むしろ創作的手法を導入して新たな境地を拡げる試みには肯定的である。ただしその前提には、実話独自の良さが活かされてこそという思いがある。この作品の場合、あまりにも創作的手法を全面に出し過ぎたために、怪異の持つリアルさを殺してしまった感があまりにも強い。特にこの作品に登場する怪異は荒唐無稽な部類であり、もっと丁寧に“あったること”を描写しなければ、読み手を納得させることが難しいタイプであると言えるだろう。試みは良しとするが、それに適した怪異の内容ではなかった、そしてかなり強引な構成になってしまったという意見である。
【−2】